早嶋です。約4000文字です。
中東エリアの混乱は、理解するのが難しい。複雑な要因が絡んでいることに加え、地政学的な理解が乏しからだ。少し整理した。
(国と非国家)
中東エリアには国家に加えて非国家主体の紛争や対立がある。主要な国家は、イラン、イラク、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、イスラエルなどだ。この国家間では領土、石油や水資源、そして覇権をめぐる対立構造がある。例えば、サウジアラビアとイランは地域覇権を争う主要な競争相手で、イスラエルと周辺アラブ諸国も対立している。
非国家主体の影響は、ヒズボラ(レバノン)、アルカイダ、IS(イスラム国)など、国家に属さない武装組織が国境を越えて影響力を行使している。そして、この非国家主体は国際的な紛争にも波及している。
(宗教)
宗教で言うと、スンニ派とシーア派の対立がある。どちらもイスラム教の主要な宗派で、両者は共にイスラム教の基本的な教義を共有しているが、歴史的・神学的な違いがあり、それが現在の中東地域における宗教的・政治的対立の一因となっている。
スンニ派は、全世界のイスラム教徒の約85から90%を占める最大の宗派だ。起源は、預言者ムハンマドの後継者問題に端を発する。ムハンマドの死後、後継者を共同体の合意(ウンマ)に基づいて選ぶべきだと考えた人々がスンニ派の始まりだ。そこで初代カリフ(イスラム共同体の指導者)はムハンマドの側近だったアブー・バクルが選ばれた。特徴として、宗教指導者(ウラマー)や学者による解釈が重視され、政治と宗教の分離の程度が比較的高い。最大宗派だけあり世界中に広く分布しており、特にサウジアラビア、エジプト、トルコなどで多数派を占める。
シーア派は全世界のイスラム教徒の約10から15%を占める。起源は、ムハンマドの後継者は血統によって決められるべきだと考えた人々がシーア派の始まりだ。ムハンマドの従弟であり娘婿であるアリーを後継者と主張した。アリーは第4代カリフとなるが、暗殺される。その後、アリーの子孫を中心とするシーア派が形成されたのだ。特徴として、宗教指導者(イマーム)に絶対的な権威があり、イマームはアリーの血統を引く人物で、神聖で不可欠な存在とされる。イランやイラク南部、レバノン(ヒズボラを通じて)で多数派を占める。スンニ派と違い、シーア派は政治と宗教の結びつきが強い場合が多い。
スンニ派とシーア派の対立は、特に第7世紀のカルバラの戦いに由来する。この戦いで、シーア派の指導者フサイン(アリーの息子)がウマイヤ朝(スンニ派中心の政権)に敗れ、殉教した。この事件はシーア派にとって神聖な出来事であり、現在でも宗教行事、アーシュラーとして記憶されている。
シリア内戦、イラク戦争、イエメン内戦などでは、スンニ派とシーア派の対立が背後にある。現在、スンニ派中心のサウジアラビアとシーア派中心のイランの間での代理戦争が、中東全体の不安定化を引き起こしているのだ。
(他国の影響)
第一次世界大戦後、イギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国が中東地域を分割し、現在の国境線を作った。この過程では民族や宗教的要因がほぼ考慮されなかったため、現在の対立の原因にもなっている。例えば、クルド人は国を持たずにイラク、トルコ、シリア、イランなど複数の国に分かれて住居することになる。また、アメリカとソ連の代理戦争の舞台にもなり、多くの武器が流出して争いごとの種を拡大した。
中東はヨーロッパ、アジア、アフリカをつなぐ要所に位置し、戦略的に重要な地域だ。この地域を抑えることは、他地域への影響力を高めるための鍵だった。当時、ソ連は南方への影響力を拡大し、ペルシャ湾やインド洋へのアクセスを目指していた。これに対して、アメリカと西側諸はソ連の勢力拡大を阻止しようとしたのだ。アメリカはNATOの延長線上で中東を防衛ラインに組み込み、イラン、トルコ、イラクなどの国々を中東条約機構(METO)に組み込もうとした。一方で、ソ連はこれに対抗する勢力を支援したのだ。
冷戦の中心は、資本主義と社会主義という異なる政治経済システムの対立もあった。中東諸国の政府や勢力がどちらの陣営に属するかが、両大国にとって当時は重大な問題だった。第二次世界大戦後、中東の多くの国々が植民地支配から独立し、これらの新興独立国家は、どの陣営に属するかで冷戦の舞台となったのだ。ソ連は、社会主義を掲げる新興国家や反西側の独裁者であったエジプトのナセルを支援した。一方のアメリカは、西側寄りの保守的君主制国家や軍事政権であるサウジアラビア、イランのパフラヴィー朝を支援している。
アメリカは当時のソ連の勢力拡大を封じ込め、石油の安定供給を確保したかった。そしてイスラエルの安全保障を支援して、西側の要塞として利用したのだ。一方、ソ連の目標は中東諸国を西側陣営から引き離し、社会主義陣営に引き込みたかった。自国の南側の安全保障を強化したかったのだ。1991年に冷戦は終結した。しかし米ソの介入が生んだ政治的不安定や武器の流入は中東に残り、現在の地域紛争の火種となっているのだ。
(資源と経済)
中東は世界最大級の石油・天然ガス埋蔵地帯だ。当然にこの覇権をめぐる争いは絶えない。歴史を遡ると、中東の石油資源の発展は、20世紀初頭の発見から始まり、現在に至るまで世界経済や地政学に大きな影響を与えてきた。プロセスを追って誰が石油の覇権を握っているのか整理してみる。
中東の石油資源の発見は1908年で、現在のイラン、ペルシャだ。ここから中東での石油産業が始まり、イギリスやアメリカの石油会社が中東に進出する。主要な会社は英国のアングロ・ペルシアン石油会社で現在のBPと、米国のスタンダード・オイルで現在のエクソンモービルやシェブロンだ。
第二次世界大戦後、中東石油の価格は戦略的に上昇する。石油がエネルギーの中心にシフトしたからだ。サウジアラビア、イラク、イラン、クウェートなどで大規模な油田が発見され、産油国が重要な地位を確立しはじめるが、西側諸国の支配は続き、米国や欧州の石油大手が中東の石油産業を支配する。
1960年に、サウジアラビア、イラン、イラク、クウェート、ベネズエラが石油輸出国機構(OPEC)を結成。もちろん、石油価格や生産量を調整することで産油国として市場を支配することが目的だった。その後1970年大にオイルショックが起こる。中東戦争を受けてOPECが石油輸出を制限したため価格が急騰したのだ。同様に、1979年には2回目のオイルショックが起きた。イラン革命により価格が再び急上昇した。OPECの発足以降、西側諸国から中東産油国への権力が移行していくのだ。
1980年代頃から石油支配の動きが再び大きく動き出す。サウジアラビア(サウジアラムコ)、イラン(NIOC)、イラク(SOMO)などが石油の管理を行いはじめ、地域での管理から国家主導の運営にシフトしていくのだ。米国や欧州の石油会社、いわゆるセブンシスターズの影響力は低下する一方で、同時に価格競争が激化していく。OPEC内部での生産量をめぐる対立や新興産油国(北海油田、アラスカなど)の登場で価格が不安定化する状況だった。1990年に起きたクウェートでの湾岸戦争はまさに石油資源をめぐる紛争で私もかすかに記憶に残る。
中東を含めた現味の石油の覇権と影響力を確認する。主要な覇権国としてサウジアラビア、アメリカ、ロシアが存在する。サウジアラビアは、世界最大の石油輸出国であり、OPECのリーダーだ。サウジアラムコは世界最大の石油会社で、国の経済を支える柱となっている。アメリカは、2000年代後半のシェール革命により石油輸出国に転じた。世界市場での影響力を増し、米国の中東依存度を減少する要因にもなっている。そしてロシア。OPECと協調するOPECプラスの一員として、サウジアラビアと協力関係を構築している。
更に現在のOPECに影響を与える国がある。中東諸国メンバーに加え、先に示したロシアなどの非加盟国が協力して世界の石油共有の5割を管理する。しかし、サウジアラビアとイランの政治的対立や他のメンバー国(イラク、ナイジェリアなど)との生産量調整で意見の相違が常に置きている。現在、中東産油国の最大顧客は中国だ。米国がシェールオイルの開発により中東の依存を下げる一方で、急激な経済発展を伴う中国が、中東からの石油輸入を増加させているのだ。
今後は欧州を中心に再生可能エネルギーの移行にシフトしている。この傾向は世界的なトレンドになり、世界は化石燃料から脱却しつつあるため、中東産油国は経済多角化を進める必要があるのだ。
(現在の焦点)
上記を踏まえて、中東での現在の焦点はシリア内戦、イランとイスラエルの緊張、イエメン内戦がある。シリア内戦は、アサド政権(シーア派アラウィ派)と反政府勢力(スンニ派主体)による紛争だ。ここに対してロシアやイランがアサド政権を支持し、アメリカやトルコが反政府勢力を支援している。イランとイスラエルの緊張は、イランの核開発をめぐり、イスラエルやアメリカとの対立が激化している。そしてイエメン内戦は、サウジアラビアが支援するスンニ派政府と、イランが支援するシーア派系のフーシ派の対立が背景にある。
(まとめ)
中東エリアの混乱は一筋縄の理解では難しい。国と非国家、宗教、他国の影響、資源と経済などの要因の整理を試み、現在の焦点を整理した。理解するためのポイントは、要因を階層事に分け、主要プレイヤーを把握し、歴史を知ることなのだ。従い、中東は把握が困難だと思ってしまっていたのだ。