国家観の再構築

2024年8月7日 水曜日

早嶋です。

2024年夏。パリではオリンピックが開催され、シンボルカラーの青、黄、黒、緑、赤の輪が毎日お茶の間に登場する。各色は五大陸の象徴だ。古代ギリシャのオリンピック競技の頃から、都市国家間の争いを一時停止させるオリンピック休戦(エケケイリア)という平和の象徴としての意味を持つオリンピック。休戦期間中は、選手や観客が安全に移動できるようにし、競技を通じて平和を推進してきた。オリンピクが平和の祭典と言われる所以だ。

24年現在、世界は戦争に突入している。ロシアによるウクライナ侵攻は法の支配を根底から覆しているし、ハマスによるイスラエル攻撃は力と力をぶつけ合う争いに発展した。日本は、平和を掲げ一見問題ないように思えるが、ここまで不安定な世の中、国家観が不明瞭なままで良いのだろうか。戦後の日本が掲げる平和や民主主義という価値観は素晴らしい。しかし、矛盾も多く見えてくる。国家観における経済的な視点、歴史や文化的な視点、そして国際的な観点においてだ。

まずは日本の国家観について現状を考えてみる。本来、国家観はリーダーがその将来を踏まえて自分の考えや国民の考えを吸い上げながら形成する役割があると思う。国家観がなければその国は不利益を被る。極端な事例だがインドのモディ首相はインドで敵対する中国を強烈に意識した外交ネットワークには積極的に参加している一方で、ウクライナ侵攻では戦略的関係を有するロシアを避難することはしない。インドを軸に考えた国益に沿う外交を展開しているのだ。明確な国家観を感じる。

そもそも国家観は、国家やその役割、目的、機能についての個人または集団の考え方や視点だ。これは政治的、社会的、経済的な要素を含む広範な概念で、さまざまな角度から国家を捉えることを指す。

日本で既に出来上がっている国家観としては政治的観点がある。天皇を象徴とし民主主義で統治し、国家の権力と個人の自由や権利を規定している。国民の国家運営、例えば投票や政治活動も確立している。それから社会的な観点も確立されている。社会福祉と公共サービスで国家がどの程度社会福祉や公共サービスを提供すべきかだ。

不足していると思う点は、経済政策と歴史や文化、そして国際展開についてだ。まず日本として、どのように経済発展を推進し、管理するべきかが曖昧だ。それから歴史的な観点として国のアイデンティティを戦後失ったまま、GHQのWar Guilt Information Programが未だに色濃く残る教育が基本になっている。正月に寺社仏閣にいく方々は多いが、日本古来の考え方や文化や風習の理解が教育現場から取り除かれているままだ。日本のアイデンティティ、つまり国家の歴史や文化に対しての正しい理解と解釈がないまま育っている若者がとても多いのだ。その結果、国家としての愛着や誇りの形成が他の国々と比較して明らかに曖昧な感じを受ける。さらに、国家としての国際的な観点が特に脆弱に感じるのだ。外交政策は未だ米国がすべて正しく我が国の意思が感じられない。本来は、日本として他国とどのような関係を構築して維持すべきかがあり、それを軸にした国際展開を行うべきなのだ。その軸をベースに、国際社会においてどのように役割を果たすべきかなどと議論が続くのが合理的なプロセスだと思う。

国家観を改めて議論して整理するために、今の政治的な観点、社会的な観点を軸に、日本としての経済的な観点、歴史及び文化的な観点、そして国際的な観点を正面から議論することが非常に重要になると思う。本来国家観は、個人の価値観、教育、経験、社会環境、歴史的背景などによって形成され、変化するものだが、多くの国々ではその時々の戦争により、価値観を大きく修正されている。独立国であれば、本来は独立した国家観を明確に形成しなおすべきだ。

1945年9月2日。日本はポツダム宣言を受け入れ、降伏文書に調印した。この日をもち第二次世界大戦が公式に終結し、連合国軍の占領が開始される。1947年5月3日。新しい日本国憲法が施行された。この憲法は、民主主義と平和主義の基本原則を掲げ、日本の統治機構を大きく改革した。1951年9月8日。サンフランシスコ平和条約が調印され、この条約により、連合国と日本は正式に戦争状態を終結させ、日本は主権を回復するための道を歩み始める。1952年4月28日。サンフランシスコ平和条約が正式に発効し、日本は連合国軍の占領から解放され、完全な主権を回復する。この日をもって、日本は再び独立国家として国際社会に復帰したのだ。

ドイツも日本と同じように、敗戦した。1945年5月8日に無条件降伏。ナチス・ドイツは崩壊。戦後、ドイツは連合国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス)により占領され、東西に分割された。西側連合国(アメリカ、イギリス、フランス)は、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の成立を支援し、ソ連は東ドイツ(ドイツ民主共和国)を支援した。

1948年、連合国の支持を受けて、西ドイツの州代表からなる議会評議会が設立。この評議会は、西ドイツの新しい憲法を起草するために集まる。1948年9月から1949年5月までの間に、議会評議会は基本法の草案を作成し、連合国の承認を受ける。1949年5月23日、議会評議会は基本法を正式に採択し、同日、基本法は発効し、西ドイツの憲法としての役割を果たすことになる。基本法は、将来のドイツ統一を前提とした暫定的な憲法として位置づけられ、基本法と呼ばれたが、事実上の憲法として機能した。1949年10月7日、ソ連の支援を受けた東ドイツは独自の憲法を制定し、ドイツ民主共和国が成立した。

1990年10月3日、東西ドイツは再統一された。再統一に際して、基本法は統一ドイツの正式な憲法として維持される。再統一後、基本法の一部条項が改正され、新しい統一国家の要件に適合させるための修正が行われる。そして基本法は制定以来、幾度も改正されている。基本法はドイツの法秩序の基盤を形成し、民主主義、人権の尊重、法治国家の原則を保証しているのだ。

日本とドイツの類似点は、ベースとなる憲法が戦後の占領下で連合国監督のもと行われていることだ。しかし、ドイツは暫定的と捉え、東西の統一後も憲法を改定しながら独自の国家観を構築している点だ。一方で日本の憲法は1947年の施行以来、一度も改正されていない。もちろん改憲に関する議論は戦後一貫して続いており、特に第9条を中心に多くの論争が繰り広げられてる。

論破したい観念として、その改憲を反対するベース、つまり歴史及び文化的な観点はGHQ支配下のときの影響が大いに残っており世論を形成している点だ。結局、ゼロベースの議論というわけにはいかず、かといって戦前の日本の国家観に戻すとすぐに戦争というレトリックを使う対立構造が打ち立てられる。結果的に国内での議論をストップさせ平和ボケした日本が出来上がっているのだ。

この状況を良しと捉えるか悪しと捉えるかは各自の判断だ。ただ、日本の経済成長は戦後から始まり1990年代をピークにストップした。教育もゆるくなり、企業は働かない社員を増産させた。ハードワークを推奨するつもりは毛頭ないが、国際的な競争力が無い社員が努力や啓蒙をすることなく企業価値を高める取組ができないでいる。そして確実にやってくる高齢化に対して打ち手が無い。人手が不足する産業についても10年も20年も前から分かっているのに誰もてを打てていない。デジタルがかなりのスピードで進化しているにもかかわらず積極的に活用する指針が無いのだ。

今後10年、20年。今の延長で捉えた日本は頑張ってもステイ。基本は更に悪くなるだろう。日本は物価も安く安全で清潔。治安も良い。ただどんどんと人の心が貧しくなっている。本来の文化的な価値観や何千年と続いた我々のマインドがわずか50年から100年の間で変わってしまうのはもったいない。ぜひ、2000年以上の日本の歴史や文化を俯瞰しながら我々のマインドを取り戻し明るい将来にむかおうではないか。

そのための一歩は、国家観の打ちの教育と文化的な考えを正しく認識することだと思う。



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