新規事業の旅117 実践の妨げとなる心の豊かさ

2024年6月25日 火曜日

早嶋です。

近年は改めて豊かだと思う。前回は「足るを知る」について書いたが、実際戦国の世の中やもっと食料や水などの最低限必要なモノが手に入らなかった時期には、そもそもの感情や思考なんてなかったのではないか。つまり死ぬか生きるかの時にいちいち思考なんてしないのでは無いかと思う。

自分はなんて不幸なんだ。自分はできない。なんて思考の隙間があるってことは、すなわち、その時点でラッキーなのだ。生きるか死ぬかの間にいる人間が、そもそも思考する余裕が無いと思うのだ。

哲学の起源については明確な解釈がある訳はない。が、複数の文化圏や地域で独自に発展して、それらが多様に絡み合い、現在認識のように昇華したと思う。哲学と聞くと、古代ギリシャ、インド、中国など、複数の文明圏でほぼ同時期に発展している。それぞれ異なる形態を取り、一方で共通して「世界や存在」についての根本的な問いを探求した。

古代ギリシャでは、紀元前6世紀頃に始まりをみせる。タレス、アナクシマンドロス、ピタゴラスなどが初期の哲学者として知られる。彼らは自然現象や存在の根本原理についての問いを投げかけた。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった後の哲学者たちは、倫理、政治、形而上などを扱った。形而上(けいいじょう)は存在や実在の根本的な性質、現象の背後にある本質、時間や空間の性質、物事の根源的な実在性などだ。物理的世界やそれらを超えた抽象的な概念について探求を1500年以上も前から議論していたのがすごい。

インドでは、ウパニシャッド哲学や仏教の思想が重要な役割を果たした。ウパニシャッドは、ヴェーダの後期の文献で、存在の本質や宇宙の根本原理についての探求を含む。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は、苦しみの原因とその解消についての哲学的探求を行った。

中国は、孔子や老子が哲学の発展に寄与する。孔子の儒教は倫理や政治哲学を中心に展開し、老子の道教は自然との調和や無為自然を重視した。無為自然は、自然のままに、何も強制せずに行動することを意味する。その取組の延長で人と自然が調和し秩序を重んじる生き方ができると提唱した。

この手の哲学が生まれた背景はなんだろう。おそらく幸福な状態や最悪の状態という単一の状況があったわけではなく、多様な局面が絡み合い、それぞれが影響したのだろう。幸せな局面では、一部の人々が比較的安定した生活環境の中で、世界や存在についての根本的な問いを持つことから生まれた可能性が高い。古代ギリシャの都市国家は、ある程度の余裕がある市民が哲学的な探求をはじめている。一方、哲学は苦しみや困難な状況からの探求もある。仏教の教えは、人間の苦しみを理解し、その解消を目指すものだ。ただ、私の解釈はどちらも一定の幸せや満たされた状態を経てスタートしていると考える。釈迦はそもそも釈迦族の後継者で相当のボンボンだった。

足るを知るでも触れた通り、多くは老子の無為自然を実践した後にようやく悟れる、あるいは悟りの道を歩むのではないかと思う。生きるか死ぬかの状態では、基本的に何かと比較するなどの思想は生まれず、ひたすら自分の生死しか考えないく思考に余裕がないと思うのだ。あるいは、その状況の前に何らかの満たされた状態を体験、経験していて、それがトリガーとなり生死の状況に走馬灯のように整理されたのではないだろうか。

別の視点もある。哲学的探求は、宗教的・神秘的な背景からも生まれているという見方だ。ウパニシャッド哲学や道教の思想は、霊的な探求や悟りの追求から派生したとされる。しかし、その根本は上述の通り一度満たされた世界観があり、ふと周りを見渡す余裕ができ、脳とひたすら会話をした結果、悟りめいた思想や何らかの自然現象を霊的なそれと勘違いした解釈だと思うのだ。ということは、今の苦しみを感じている時点で実はラッキーで、その余裕が十分にあると言うことなのではないか。

企業に例えたい。人材が不足していると大きな組織は言う。もし本当に不足しているのであれば、仕事は回らず滞り、キャッシュフローがネガティブになる。そして破産する。しかし、実際はそのような状態が続いても3年、5年となんとかなっているのだ。つまり人が不足しているのではなく、実は充足しているだけで、最適な資源配置が出来ていない。人がたくさんいすぎて、皆誰かがやるだろう的な発想になっているのかもしれないのだ。そしてちょっとだけ「やばい」と思ったひとが少し余分に仕事をすることで成果は出るようになっているのだ。

既存の事業と新規事業の関係も同じようなものだ。今の事業が将来衰退する可能性が高い。従い、将来のヘッジのために今から2本目、3本目の事業を創出する。しかし、この大義で新規事業を起こしても実際は生まれない可能性が高い。それは、その企業に心の余裕があり、思考の余裕があるためだ。思考の余裕があるので、多大なるアイデアは出てくるが、瀕死の状態でもないので実際に行動を起こさないのだ。概念的な創造物は出来上がるが、それを実態としての事業に変えるためには心の豊かさだけでは不足するということだ。

(過去の記事)
過去の「新規事業の旅」はこちらをクリックして参照ください。

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