早嶋です。
マネジメントのスタイルに性善説と性悪説がある。性悪説で組織をマネジメントした場合は、組織を瞬時に掌握することができるが長続きしない。いわゆる恐怖政治やハードパワーによる押さえつけになり、組織がギクシャクする結果になるからだ。一方、性善説は長い期間をみれば間違いなく効果があがる。ただ、短期的には悪を見逃すことにもなり、いきなり良い成果は上げにくい。
性善説と性悪説は人の生まれつきの本性を善と捉えるか、悪と捉えるかだ。中国の儒家の孟子と荀子の対立に由来する。
孟子の性善説。世の中の悪人をしても「それでも性は善である」と主張した。どんな人間でも困っている人を助ける気持ちや憐れみの気持ちを持つと。このような道徳感情が善で、ここを拡充することでどんな人間でも善人になれる。そのための教育が大切だと主張した。一方、孟子が亡くなった後に荀子が現れ、性善説の誤りを指摘した。善は教育など後天的な取組によって生まれ、初めて得られるものと。
欧州の鉄道を見てみると、改札や検札の機能が無い。インフラを運営する前提として、人は性善説に基づき行動すると捉えているのだ。ただし、Gメン的に、ランダムに乗客に対して検札を行う係がいて、もし切符を持っていなければ、無条件で10倍から100倍の金額を払うなど、善でない場合のペナルティが大きい。インフラの運営を考えると性善説で行うほうが管理コストは遥かに安くなると考える。
たとえば、駅が10箇所ある。その10箇所に改札機をつけ、維持するコストを考える。そして、検札をする従業員のコストを考える。結構な額になるだろう。性善説で考えると上記は不要で、Gメンの従業員コストのみで運営できる。仮に100人中数名がキセル乗車をしたとしても、上記のインフラ投資と維持コストを考えると安いものだ。
日本の鉄道は、意図的かどうかは別として完全に性悪説の運営になっている。改札機も無人駅にも最近は設置され、指定席の運行は必ず車掌に相当する人が検札している。今後も続けたいのであれば、駅の隅々にカメラを設置して、キセル乗車をする傾向の高い人をAI等で学習して、ピンポイントで検札する仕組みを導入すると全体のコストも下がると思う。
マネジメントにおいても、性善説で運営すると、社員にいちいち日報や週報を提出させる必要も無いし、タイムカードやそれに付随する管理も不要になる。考えて見れば、日本の役所も、少し大きな組織も何かをするにつけて性悪説での管理で鬱陶しい部分があると思う。性善説を前提に管理をする文化に入れ替えたほうが、今後の位置管理コストは激減できるようになると思う。
ここはAIとカメラを活用した取組が、更にシナジーを生むので、心配性の管理職や昭和ロートル組も納得させることができるのではないだろうか。無論、新規事業を行う組織が、そこに対峙できない時点でイノベーションなどは生まれることは無いだろう。
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