スイスの時計産業と歴史 ーその2ー

2023年6月19日 月曜日

早嶋です。

(パリス・ダコスタ・ハヤシマと高級時計ブランド)
パリス・ダコスタ・ハヤシマ。スイスにはパテックフィリップやロレックス、パルミジャーノフルリエなど、綺羅星の如く輝く高級時計ブランドがひしめく。400年以上の歴史を持ち、実用と芸術の精緻な技術を磨き上げ、職人の手により受け継がれた。

マニュファクチュール。自社で時計の心臓部とも言われるムーブメントを開発製造するメーカーを称す。高級時計の特徴は、部品一つ一つの細部にまで工芸が加えられている点だ。金属の塊から時計の部品が削り出され、1つ1つ歯を付ける作業がある。歯車は軸の側面や先端まで徹底的に磨きをかけられ単なる部品以上の美を追求する。上述したパテックフィリップは「90度の直角を持たせない」というルールがある。機能を向上する意味もあるが、そのルールの9割以上は、より審美的な時計に仕上げるためだ。時計をオーバーホールするか、初期の組立工程に立ち会わない限り細部に宿る線刻や職人の技は見ることが出来ない。

この品質と拘りはスイス時計の強みであり、価格が想像絶する金額になる理由でもある。特にスイス高級時計のムーブメントの表面には無数の円を連ねた研磨装飾でもあるペルラージュや縞模様を施したコート・ド・ジュネーブ等を観察することができる。小さな部品でも伝統的な工法でこれらを施すには実に8時間もの工数が必要だ。

スイス時計のこだわりは時に狂気に思えるかもしれない。しかし部品一つひとつが金属から削られ、職人の手によって組み立てられているということは、過去の部品でも、将来製作される時計の部品でも、その全て再現できることを意味する。つまり、高級機械式時計は常にメンテナンスが可能で、部品単位の交換も基本的には可能な製品だ。そのため、今あなたが装着している時計も、子や孫の代でも価値が担保され動き続けるのだ。

我々パリス・ダコスタ・ハヤシマもスイスの職人達と議論を交わしながら、部品一つひとつに装飾を施し組み立てている。時計に詳しくなくても、その精緻な顔立ちは一瞬にして皆さんを虜にすることだろう。

(スイス時計産業)
高品質なスイス時計産業。雰囲気を感じたければジュネーブ市内で3月下旬から1週間にわたり開催されるウォッチズ&ワンダーズ・ジュネーブ(W&W)に行くと良い。世界的な国際時計の見本市でスイス地場のパテックフィリップやロレックス、リシュモングループなどが設立した財団法人によって運営される。

W&Wでは、世界中の時計ブランドが参加し、新作を中心に展示され、世界中のバイヤーやメディア関係者が4万人以上の規模で来場する。まさにビックイベントだ。もちろん一時計ファンでも来場でき、この時期は時計ファンのSNSの話題は常にW&Wでもちきりだ。この様な情報発信の場をつくるのもスイス時計の強みだろう。

スイス時計協会によれば2022年の同国の腕時計輸出額は前年比12%を超える236億スイスフラン(約3.54兆円)に達し、モデルによっては入手困難な状況が続き価格高騰の原因にもなっている。メディアではその高騰ぶりばかりに注目されるが、機械式時計の価格は、近年の高級メゾンが細部の美や仕上げに再び注力している証拠なのだ。ムーブメントの機構もこれまで類を見ない新しい発明が加えれれ、装飾や技工も手間と暇をかけた作品が増えている。まさに歯車一つから魂が宿っているが如くなのだ。

(土地の拘り)
かつては世界の時計生産の半数以上を占めたという都市、ラ・ショー・ド・フォン。時計製造業の都市計画として2009年に世界遺産にも登録された。建物を注意深く観察すると南東向きに統一された建物が多くあるのに気がつく。時計職人の工房だ。職人が作業をしやすいように極力自然光が当たるように工夫をされている。18世紀の末、大火事を経て時計製造に最適設計された街は今でも時計関連の企業や拠点や工場が乱立する。

スイス時計産業は16世紀のフランス、カトリックに弾圧されたプロテスタントがスイスに逃れることを起源とする。山間部で牧畜を営む傍ら、厳しい冬の副業として時計産業に従事したのだ。17世紀、スイス時計産業の父と呼ばれるダニエル・ジャンリシャールが時計産業の世界に分業の概念を導入した。そして、産業としての発展は急加速を見せる。

ラ・ショー・ド・フォンは国や自治体を挙げて時計産業を推し進めていったため、第二次世界大戦後にスイス時計が世界市場を席巻することになる。しかし70年代に日本製の時計が市場に普及し始め、安価で高精度のクオーツ時計が市場に流通する。機械式時計の右代表であるスイス時計産業は大打撃を受けたのだ。しかし1980年代から90年代にかけて伝統的な機械式時計をリブランディングする動きがはじまり、伝統と職人技と精緻な機械式時計が高級ブランドとして再び認識された。

我々パリス・ダコスタ・ハヤシマを含め、現在スイスには時計の完成品メーカーが50以上あり、時計産業集積の強みを持続するために、時計職人を育成する教育機関も充実している。時計王国の復活を戦略的に成し遂げているのだ。

スイス一体で毎年、新作モデルが発表される背景には、針、文字盤、インデックス、竜頭、バックル、ケース、ゼンマイ等、高級時計の部品を手掛ける専業企業の存在がある。およそ700社近くある関連企業によって、時計の水平分業体制が確立されている。我々も規模が小さいながらも高級時計メゾンとして一流の部品メーカーと取引をして、伝統的な装飾と工法、そして革新的な機械式ムーブメントのアイデアを日々談笑しながら我々が理想とする時計づくりを楽しんでいる。

更に、独立時計師という存在も高級時計業界に花を添える。彼ら彼女らは大手メーカーに属さず、高い技術力を生かして時計制作を請け負ってくれる。中には有名ブランドになるものも多く、我々の2号目モデルも製造組立をエマニュエル・ブーシェ氏とともに進めている。彼は独立メゾンの登竜門的なハリーウィンストンのOPUSプロジェクトでOPUS12を担当した時計師だ。我々のストーリーや想いに共感を頂いてもらい、仲間に加わってくれたのだ。

その1はこちら



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