先生の第三者評価

2022年2月10日 木曜日

早嶋です。

直近2年、多くの大学生の授業はオンラインになっている。2年前に入学した学生からするとリアルの授業を殆ど体験していない方もいるかも知れない。このような環境下の学生と話をしていて思う。リアル、オンラインに関係なく大学の授業はコミュニケーションが極めて少ない。特に研究室に配属されるまでは、講義を一方通行で受け、課題をこなし、テストを受ける。オンラインであっても、同様に、講義の内容が動画になって、Youcannとかそこら編の格安研修のような始末だ。ただその本質は、実は、僕が学生の時とあまり変わっていないのではないか。

大学は、受験をして生徒がお金を払って学ぶ場だ。なので、入学するまでは大学は生徒を選択する権利があるが、入学した以上、生徒は顧客だ。顧客は常に商品の提供者を判断する権利を持つ。それなのに大学の先生の授業は工夫が少ない方が多い。少なくとも多い気がする。その理由は顧客が評価する場が無いからだ。通常の商売だと、粗悪な商品を提供する組織は、選択されなくなり淘汰される。そのため競争原理が働き、顧客に支持される組織が利益を出し拡大する。ただ常に顧客のフィードバックがあるから商品の提供は切磋琢磨されるのだ。

この原理が大学や高校、義務教育の中学校や小学校には働かない。ここが問題だと思う。義務教育や高校はまた次回の機会に議論するとして大学に戻そう。本来、大学は学びを深めて、将来の自分の価値を上げるための場所なので、自分から学ぶことが前提にある。にしても、その学びの幅を広げ、興味を深め、更に本人、つまり学生のビジョンを実現する手助けをするのが大学サイドの仕事ではないか。とも思う。そう考えた時に、ギャップが生まれる。

大学の先生は、大学で学び、社会に積極的に出るよりは、大学に残り研究をしたい人が大半だと思う。中には社会に出ることが出来ずに、ドクターまで行き、仕事を続けている人もいる。当然に、社会に出て仕事をする中で、もっと学びたい、研究したいと学術世界に戻った方もいる。千差万別だ。

で、社会を経験している先生は、相手が何を求めているのか?利害が一致しない方々と共同で成果を出さなければならない環境を経験している。そのため、相手が悪いと言わずに、自分の言動や行動を変えることで組織の成果を出そうと考える。なぜ、そのようになったか。いかなる環境も周りや他人のせいにしても結果は同じ。自分が動かなければ組織では成果がでないからだ。

と考えてみると、大学の先生が一方通行で、自分とのコミュニケーションや自分の研究に没頭したい気持ちはわかる。そのような人が大学の先生になるからだ。だったら、学生を学ばせる場は全て私立にして、研究に没頭したい人は国立にするなどのドラスティックな変革をしないと、いつまで立っても生徒は良くならない。少なくとも、国内の教育機関は、ある程度の方針があり、未だに考えさせるよりも教えることを好んでいる。であればなおさらだ。教える場合は、生徒が先生を超えることは極めて稀だ。

日本から優秀な人材を輩出するのであれば、根本的に大学をもっとオープンに評価する仕組みを考えた方が良い。私学であれば、その大学を卒業した後の進路や年収に紐づける。国立であれば、卒業した後の学者としてのキャリアや国際的な学会での評価などだ。目的に応じて取組は変わるので、交通整理が必要そうだ。



コメントをどうぞ

CAPTCHA