「知る」「好む」「楽しむ」

2022年1月4日 火曜日

早嶋です。

儒教の創始者である孔子を祀る霊廟は、全国各地にあるが実家がある長崎にも孔子廟がある。昨日帰省のついでに家族で訪れた。長崎の孔子廟の見どころは何と言っても、等身大の孔子と72人の賢人の大理石像と回廊に掘られた論語だ。

「之れを知る者は之れを好む者に如かず。 之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず。」

仕事や遊びにおいて、多数の知識と経験を持つ人は多数いるけれども、実際に好きな人には敵わない。同様に、好きな人は多数いるけれども、楽しんで行っている人には敵わない。そんな内容だ。

2022年、新たな年を迎えて働き方、自分の能力の活用の仕方に対する記事を多数目にした。起きている時間の半分以上の時間を費やして行う仕事。もし、「僕には向いていないのかも?」と思ったら、「そのことを好きになる努力をしているか?」と自問することを勧めたいです。好きになるための方法は「知ること」ですが、僕の経験上、何かを嫌になり投げ出したい人ほど、その取組についての知識が無いのです。仕事に対して「やらされている」と感じている人ほど、その組織がどこに向かい、何故、その仕事が発生しているのかについてのメカニズムを知らない。そのために取組についても「意義」を感じることが出来ず、「好きになる」ことができないでいるのです。

取組が「好き」になれば、その後は「楽しみ」に変わるかも知れない。不思議なことに、あれだけいやいやに行っていることに対して、「知る」ことによって「好き」になることは誰でもできると思うのです。ただ、その後、「好きになるか、ならないか」は若干人によってことなりますが、「知る」ことで、大概のことは「投げ出さずにすむ」と思います。

「学は及ばざるが如くせよ。猶之を失わんことを恐れよ。」

その知識ですが、常に自分はまだまだ十分ではないと謙虚な気持ちを持って学ぶのがポイントです。それから学んだことを失わないように心がけることも大切です。

「知る」ことを「楽しむ」ためには、継続して学び続けることだと思います。「自分は既に十分に学んでしまった。」と捉えると、その瞬間から知識に劣化がはじまります。そのための「謙虚さ」は大切なのでしょうね。そして「得た知識」は、実際に活用してはじめてなんぼの世界。そのためには、その世界で実際に使って試してみて、自分なりの技を磨き続けることが大切なのです。きっと、その取組を行っているうちに自然と「楽しさ」につながってくるのでは無いでしょうか 。

「知る」ことからはじめ、「好き」になり、そしてその事業や取組を繰り返して試行錯誤している中に、気がついたら「楽しんでいる」。このような取組ができるためにも、何でも良いので自分の興味を持って取り組むことを遊びでも、音楽でも、書でも、歴史探求でも、アートでも良いので持っている人は、安易に諦めて、安易に投げ出さないのではないかと思います。



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