早嶋です。
今朝の日経にあった記事に「ロングセラーという定番商品に淘汰の波が」がありました。例に出しているのは森永のチョコフレーク。2019年夏に生産修了するようです。
生産修了の決定した理由は次のとおりです。
・PB商品の対応
・消費者の嗜好の多様化
チョコフレークは1967年発売のロングセラー商品です。しかし最近5年で売上はピーク時の半分になり、生産中止を決定しています。50年間の定番商品だったのです。実際は、上記2つの理由よりは、メーカーそのものが今のチャネルシフトに対応出来なかったことが原因だと思います。
国内菓子市場の現状は、量販店が5割、コンビニが3割です。更に、量販店の販売は頭打ちでコンビニでの売上にシフトしています。コンビニはとにかく売れ筋商品しか扱わないで、商品カテゴリで1位、2位の商品しか棚に並べないし、入れ替わりも1日単位で行います。
この傾向は、2000年頃より観察でき、将来、量販店が顧客情報や購買体験を軸に、メーカーの空いた資産を借り、独自の企画でPBの生産依頼をする。そしてそれによって、メーカーは小売がNBの販売先でもあり、PB商品を作る得意顧客でもあり、そしてNBの競合にもなるという微妙な関係が続きます。
その時期に、1)製造に徹してブランドはエンドにゆずる。2)メーカーに徹して、ブランド価値を上げるための仕組みをとる。3)本来の製造小売に徹するため、小売に参入する。のどれかを明確に打ち出せたはずです。が、状況変化に対応せずにズルズル10年、20年と経過。結果、今でも企業は製造に徹するのか、製造小売を続けるのか、ブランド価値を高めるかが不明なままです。
現在大手コンビニのPB比率は食品で4割から6割を占めます。そしてNBに類似するPBを揃えます。戦略としては、NBよりも容量を減らし価格を半値くらいにすることで、顧客の購買を促します。PBはそもそもチャネルを抑えているために、顧客が店舗まで足を運びます。そしてNBの選択肢に加えてPBを置くことで、利益を得るモデルを作り上げます。NBは小売りを自分たちで持たず、多くのNBと店舗内で競合するためテレビCMなどの従来のマス広告に莫大な広告費をかけて、ブランドの認知に力をいれます。
しかし、スマフォ時代の到来によって、顧客情報を管理して、顧客の購買行動を分析することが実は要であることに気が付かず、昔から変わらず飛び道具であるマス広告に莫大な費用をかけていきます。一方小売は、継続的に店舗に来た顧客が再来店して購買単価を増やすように、顧客のデータを蓄積して分析活用することに重きを置き始めます。
市場が成熟した現在、新規市場に対して商品を投入して、広告費をかけて販売を換気するモデルは時代遅れです。既存の顧客に対して、リピート、紹介をいただくような策を行うような、既存の購買を深める取り組みがポイントになります。
しかし、本日記事で紹介されているようなメーカーは、その傾向を認識していても、従来の物を作り大量に広告費をかけて認知を得るという取り組みを継続してしまったのです。
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日本は明治から欧米に対して追いつけ追い越せで、明確に目指す対象がありました。国民の特性か、答えがあるもの、形が見えるものに対して習得することに長けています。しかし、正解が見えなくなり創り出すことが求められる昨今、急に力を落とし始めています。
企業は未だに新入社員を一括で採用して、新人教育、そして配置と昔ながらの励行を繰り返します。戦略のギャップを埋めるために、イノベーションや過去はマーケティングと言っておきながらも採用戦略は普遍です。100人の新人を採用するのではなく、その投資額をIoTやAIのスキルを持つ人材に投資して10人の採用にするなど、ギャップを埋めるための行動と伴っていません。過去の考え方、労働組合の反対、変えることができない仕組み、戦略と切り離された人事部のKPIと、トップが口述する内容と現場の行動が一致しません。
世の中がこれだけ目まぐるしく動き変化していても、一度大企業に入った人材は、過去の学歴と数年間程度学習した僅かな知識を小出しにして変化しません。継続的に社会に変革を興すような学びと実践を行うということが極端に少ないのです。
業界は確実に変わります。ハードの電子化は、AIとIoTとクラウドと通信などのテクノロジーの融合になって自動化が標準になります。これまで当たり前のように人を介していた仕事が一新され業界構造が全く違う形になるでしょう。
そして追い打ちをかけるように我々の先は100年時代。60とか65で定年を迎えて80頃までと考えていた人生設計が崩れ、80からの20年をどうするのか。多くの人々が不安を抱え、蓄えている消費を更に冷え込ませる結果になっています。信長の頃は人生50年で捉えていましたが、その2倍。個人資産がどんどん膨れていく理由も、実際は不安で不安でしょうがなく消費をすることが怖いのだと思います。
このままのテクノロジーの深化を鑑みると2040年±5年前後でシンギュラリティがやってくるかもしれません。コンピューター>人間の時代です。仮に来なくても、多くの人間が行っていた仕事がコンピューターに代替されて、人は圧倒的な自由を手に入れる一方、圧倒的に暇な時間がありあまります。
2020年に生まれた人が今の延長の教育を受けて二十歳になった頃、昔の発想で仕事をしようとしても、そもそも人間が行う仕事は全てなくなっているかもしれません。国語算数理科社会ではないですが、昔と変わらない方針とカリキュラムで詰め込んで答えありきの学問に時間を費やすことに価値があるのでしょうか。
それよりも、コンピュータが比較的苦手な、先を創ること、考え出すこと、生み出すことにフォーカスしたトレーニングがもっともっと大切になると思います。これらは単に考え方といいましょうか。自分で考えて、自分で行動して、自分で楽しむ。人から与えられて、命令されて動くのではなく、自分が中心となってインプットとアウトプットを繰り返す。そんな教育が社会全体に求められるはずなのに、周りを見ても何の備えもない。
うーん、驚異的な未来がやってくるのは間違いないと考えてしまいます。