早嶋です。
本日の日経で、日産自動車の高級車ブランド「インフィニティ」モデルの販売を中国で開始したとありました。投入されたモデルは2車種3モデルで、08年末までに、更に3車種を順次投入する計画です。
インフィニティの店舗デザインには、インフィニティのグローバルデザイン基準(IREID:Infinity Retail Environment Design Initiative)があり、上海のディーラーも上記に準拠しています。IREIDは商品を超えた顧客との継続的な関係構築を目指すTotal Ownership Experienceの要の一つとして確立され、計画では上海を含め今後中国の約10箇所のインフィニティのディーラーに展開します。
日産のインフィニティブランドは89年に米国で導入されて以来、北米、中東、台湾、韓国、ロシアに展開されています。今回の中国市場は日産の長期的なグローバル成長戦略の一環で、今後もウクライナ、ヨーロッパにブランド展開する計画があります。
近年でこそ、中国市場の海外ブランドの浸透は、当たり前のようにニュースで見ますが、中国での初めての自動車生産の合弁企業ができた84年は、今以上の紆余曲折があったそうです。
当時の中国は、自国の自動車生産技術の遅れを改善するために、海外の自動車メーカーとの協力は不可欠なものだと考えていました。しかし、トヨタを含む世界の主要メーカーは、「貧しい中国で乗用車を生産しても売れるはずが無い」と言うのが一般的な認識だったのです。
その中で、合弁の可能性を求めていたのがドイツのフォルクス・ワーゲンです。おそらく、自動車メーカーの中で、「中国は貧しいが、将来性はある」と見込んでいた唯一の企業だったと思います。
しかし、将来性の前に中国の現実がありました。フォルクスワーゲンが中国での乗用車を採算ラインに乗せるには、年間15万台の生産が必要だと見積もっていました。しかし、当時は贅沢品の乗用車、中国側はこれを承認せず、示した数字はわずか2万台だったのです。とても採算が合う数字ではなく、1万台でも多くの生産計画を中国政府に認めてもらう必要がありました。
この交渉のカギとなった人物は訒小平氏と言われます。彼の一言、「3万台でも良いじゃないか」が最終的なフォルクスワーゲンの設立につながったのです。中央政府は、3万台も売れるわけは無いじゃないかとの態度を見せていましたが、上海フォルクスワーゲンの自動車は大きな関心を集め、大成功を収めたのです(参照:「今の中国」がわかる本―この100年で中国に起こったこと、そして、これから起こること)。
中国での自動車生産は3万台からスタートして、21年後の2005年までには年間1000万台になったと言われています。そして、今回の高級車ブランドの相次ぐ参入にも垣間見れますが、中国の自動車需要は、また、新たなステージに入ったのです。
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