クリニックの院長の悩み

2017年3月15日 水曜日

早嶋です。

クリニック向けのセミナーを繰り返し行いながら考えることがある。成功の定義だ。ほぼ毎月行っていたクリニック向けのセミナーの対象者は院長先生兼ドクターが対象で売上規模にして1億から2億前後ある。利益率は他の仕事と違い非常に高く役員報酬も30M円から80M円(専従者含)程度がボリュームゾーンだ。なのに皆心配や不安がつのる。その不安は大きく3つ。設備投資をした後の新規顧客の心配。自分の子供に対しての心配。自信の将来の心配だ。これを解消するための最も簡単な方法は自分の軸を持つことだと現時点で私は考えている。

1)開業医
開業したばかりの先生は2つに別れる。親や親族が医療関連で、自分もその道を継ぐことが当たり前と思っているドクター。何らかの志の中で医者になることを夢見たドクター。前者も後者も共通することは医者になること、医者として両親の後を継ぐことを目標にこれまで頑張ってきたということ。実際になれるのだから凄いというのは置いておき、いざその立場になった時に、何ともいえないモヤモヤ感を持っていることだ。

2)中堅ドクター
開業して10年前後の中堅ドクター。医院経営にある程度の経験を積みマネジメントの概念も必要なことが体験から分かっている。それまでは医者の技術が良ければ成り立つと考えていたが、実際は、スタッフとの関係、顧客(患者)との関係、場合によっては地域との関係が非常に重要であることを理解している。更に、開業当時の社会環境や技術環境が激変している。また開業当時のハード関連が老朽化を迎えそろそろ設備投資をしなければならない時期に差し掛かる。このままの延長で行くべきか、少しストレッチした設備投資をすべきか悩みは尽きない。

3)ベテランドクター
開業して20年、30年以上のベテランドクター。年齢にして60歳前後。医療以外にも社会的な役割を果たされ十分に活躍されている。子供に恵まれていれば早い段階から帝王教育を施し将来の跡継ぎドクターにすべき教育をしている。目下の心配は2つで1つは、彼ら彼女らが無事に自分の医院を継いでくれるかの心配、1つは自分がどのように引退するかの不安だ。

1)開業医
このモヤモヤに対しての打ち手は明確で、数年でどのような医院を作り、自分がやめる頃にはこんな風に引退できたら良いな。を考えることだと思う。

これまで我武者羅に一生懸命に国家試験を取るために様々な勉強を行った。そしていざ継いでみて、或いは開業してみて感じたことは医療技術以外にも大切なことが様々にあるということだ。院長になるということは、実際は売上規模数千万円から数億の中小企業の社長と同様。商品である医療技術に対してはもちろん、その技術を提供するために必要なスタッフとの連携や顧客とのコミュニケーションがモノを言う。クリニックレベルでは、適切な医療サービスを提供しても、しっかりとした双方のコミュニケーションが不足していればそれがクレームやネガティブなバズを有無原因となる。また、自分たちの商品が最高でも、同じような業態が数万あるせかい。その内容を少なくともリーチできる人たちに正確に伝え、そこにあることを知って頂く必要がある。いわゆる広告宣伝や販売促進活動の技術と考え方だ。闇雲に開業して標榜を全て提供するのか、何かに特化して行うのかという戦略の必要。何も考えなければバラバラな処置が増えて対応はできるければと常に忙しくしている割にはお金が残らない。そのような時間を過ごすことになる。

私はこの状況を製造業に似ていると感じる。技術を手に独立する。その技術が業界の中で秀でていれば全国、全世界から仕事がやってくるが、普通レベルであれば普通の対応をしなければならない。クリニックも、専門によるが国内で数万の競合がいる。それぞれの地域で同じやり方で互いに成り立っている。経営が苦しいと言っても平均的なサラリーマンに比べれば所得は高い。しかし医療サービスとして見れば特にそのビジネス自体が特殊なものではなく、多くの経営者が運営できる中小企業と同じような仕組みといえる。

もっと言えば特別な領域だ。人間の健康を扱う以上、国の関与がある。料金の殆どは国が標準的に関与して決めるためビジネスモデルがどうしても似通ってしまう。確かにスペシャルな技術や考え方を持つドクターもいるでしょうが、それは数万の規模からするとかなりマイノリティと考えたほうが良い。

であれば、経営の仕方も極めて標準化すること効率的に行えるはずなのだが、各クリニックが全ての業務を自分たちで行っているため、企業で言うバリューチェーンの標準化は殆ど考えられていない。従って、その業界を取り巻く業者が一定数いて、そこから収益を頂くモデルが今でも成り立っている業界だ。

医者になることはゴールでは無い。スタートにしか過ぎない。そのスタート地点で、自分達の経営環境や特殊な部分、一般化出来る部分、自分がしたいこと、したくないこと、自分の強みや他者の状況を良く理解することをベースに、数年先、自分が引退する長期的なイメージを持つ。これが最もモヤモヤを吸収するための近道だと思うのだ。

2)中堅ドクター
10年前後継続して続けられているということは、ある程度の経営感覚が身についている状態だと思う。人によっては、もっと時間が欲しくて、自由になりたい。毎日のプレッシャーを解いてもっと楽になりたいと考えているかもしれない。開業して数年はもがき苦しみ、5年とか7年をすぎると、自分の思ったとおりに医療経営を行える人もいる。が一方で、スタッフとの関係がうまくいかない、代診のドクターとの関係が上手くいかないで規模を大きくすることよりも、自分の管理できる範囲で仕事をしたほうが良いのでは無いかと考えるようになる。

ただ、お金にはある程度満たされていて、開業当時に欲しいと思っていたモノがあっさりと変えて、その物質的な目的が急に虚しくなる時期でもある。人口密集部で朝から晩まで身を挺にして仕事をして土日は新しい技術の習得か経営の勉強を行いながらゆっくりと休みを取って過ごすこともできない。時間を取って診療を休診することが恐怖出し、職場を離れる発想もない。そのようなことが幸せなのかと自分の中で問う生活が長らく続いているのである。

同期のドクターは、田舎に引越し、診療報酬は低いけれども人間らしい生活をしている。そうか自分なりのやり方で規模を小さくすることもありかと仲の良いドクターやコンサルに相談すると、勿体無い、もっと患者さんを診ることができるのに。と。本質は、何をしようにも常に周りの意見が気になってしまい、どうしていいのか分からない。

そんなタイミングに、そろそろ設備投資をしないといけないという考えがあり、一気に方向を変えるか、このまま続けるかという悩みも発生してしまう。気がついたが40代前後。後、どの位、この生活をするのかを考えるが良いアイデアがわかないで毎日を過ごす。

考えるべきポイントは、自分が開業した時に何を思ったかだ。その時点で自分が思い描いている10年後であれば、それは胸を張って成功だし、その時点で何も考えていなければ成功でもなんでもない。自分の思い通りになっているドクターは、今後10年、そしてその先のイメージを持ちながら継続することが一番良い方法かも知れない。はじめからいわゆるビジョン的なモノが無けれな、偶然に過ごすやり方であっても死ぬことはない。一方で、今からどうしたいのかを突き詰めながら、自分の意志で自分の行き先を決めることができれば、全てのなんとなくの不安は全て吹っ飛ぶと思う。

成功とは数字を求めることか、患者を求めることか、医学的な立場で著名になることか、色々あるかもしれない。が全ては他人がどう思うかを気にするがあまりに、どこの鞘に収まってもしっくりこないのだ。お金を求めて求めて沢山手に入れる。無いよりは良いがそれを求めすぎるとどんどん苦しくなる。結局は成功の定義を自分で作ることができていないのだ。他人の評価で来きるのは偏差値の延長化。常に比較されることになれすぎたのか。医者になったら比較されないと考えたら同じ役割レベルのドクターが世の中には数万単位でいる。またここに比較を求めるのか。

結局は自分の軸を見つけるために、自分でいいと思う姿を自分で描くことがポイントになると思う。成功や失敗とは主観的な問題で結局は自分がどう思うかが全て左右している。40代のドクターは、医療技術のキャッチアップは当たり前として、経営のセンスに加えて、ものごとんの考え方について精通していくようにすることで、自分としての考えを素直に表現でき持つことが出来るようになる。その週間、毎日が楽になるのでは無いだろうか。

もちろん、設備投資の話は、そのベースがあってこその話だ。自分の方針が見えれべ、そこに必要なヒト、モノ、カネを考えて、時間軸を考えて取り組むか否かが自ずと整理されるのだ。

3)ベテランドクター
中小企業の平均年齢は62歳位と言われ、中央値に段階の世代があり、更にその下の層にある程度のボリュームがいる。そのため後数年で団塊世代の方々が一気に引退するという社会体な問題が到来する。これはある程度の規模で言えることだから医者の世界にも当てはまる。ただ、医者は世の中の中小企業の経営者よりも少し長く勤務する傾向があると思う。

しかし考えてみると、頭や体力が徹底的に必要な医療従事において、40代、50代、60代と同じ仕事のスタイルが取れるだろうか。この先に考えるべきことは、自分の体力や仕事を辞めたあとの余生。それに加えて後継者の問題だろう。因みに昔の古き良き時代のサラリーマンは30代、40代に最も仕事をして、徐々に50代、60代で体力から頭脳、マネジメントのしごとに移り年相応の仕事を終えて年金生活だった。今のサラリーマンは条件は少しことなるが、中小企業の社長や院長といった職種は自分で定年を決めない限りずっと働き続ける。だからこそ、自分ではじめから区切りを作り、それに応じた考えを持つことが大切だ。

中小企業の平均値で毎年20万社程度が廃業している。しかもその3割は後継者がいないという理由で会社を精算。医者の場合、子供に恵まれているのであれば、ある程度子供も小さい頃から意識をし、医者の道に進むことをおぼろげに思うだろう。が、多くのベテランドクターに話を聴くと、明確に自分が交代する時期を決めていないし、明確に息子や娘に自分の医院を継いで欲しいと話をしていない。という共通点を見出す。一方で、自分の家業をついだドクターに話しを聴くと、明確に言われていなかったが、急な病気戻ってきた。などと、必ず一悶着あることが多い

つまり、後継者がいるが、そこに対して明確に意思を示していないし、そこに向けた自分の出口戦略が無いかあってもかなりふわふわしているのだ。出口戦略とは、会社の寿命と経営者の寿命を比較した場合、理屈の世界では人が短い。従って、ある時期を境に経営者として離れる時の戦略だ。中小企業の場合は4つのオプションがある。1つ目は親族内承継。これは単純に息子や娘が跡継ぎになるオプションだ。2つ目はバイアウトで、マネジメントが会社を引い継ぐか社員が引き継ぐかだ。前者がいわゆるMBOで後者はEBO。が、実際社長が次の社長候補を長年かけて育てているケースが少なく、仮にマネジメントや社員に相当の人材がいても株式を引き取るために何らかのファイナンスが必要になる。医院でも可能であるはずだが、ドクターの資格を持っておかなければならないなど、やはりハードルは高い。最後はいわゆるM&Aだ。社外の資本を取り入れ経営陣を入れ替えるやり方だ。売却側はその資金を退職金として余生を過ごすか、また新たな事業の資金とするなど様々だ。医院でも他の医療法人に自分たちの医療法人やクリニックを売却することはケースとしてもたたある。

となると、考えられるオプションは病院の場合は、家族に事業を引き継がせるか、M&Aかだ。後あるとしたら精算廃業。今回は、精算と廃業は考えないとしたら、子供に継いでもらうオプションとM&Aするオプションだ。子供のオプションの場合は、なんとなくそのつもりにさせるのではなく、出来るだけ早い時期から明確に後を継がせることを伝え、その時期を示す。医者の資格を経て数年は他の病院で仕事の経験をさせる。その際も、自院の役に経つような医療機関や立地条件の医院に行ってもらい、あくまで後継者としてのキャリアを積む。そして、その後の医院の方向性は緩やかに示し、子供が継いだあとは自分で考えるように教育して置くことだ。

M&Aのオプションでは、ドクターがいなくても基本的に医院運営が行えるような仕組みを意識しながら構築することだ。少なくとも、医院の場合は企業のM&Aと違って、資本を入れる側は医者か、医者を送り込むことができる人材なので、仕組みが無くても問題ない。しかし、やはり相当の価格を付けたいのであれば、着実に患者を増やして良い関係を作り、経営を安定させることだ。そして自分がM&Aを行いたい時期の数年前くらいからアドバイザーやコンサルを付けてその準備に取り掛かる。

子供とM&Aのオプションでどちらにも共通して重要なことは、自分が引退した後の趣味や活動を明確に決めておき、できればその5年前くらいから少しずつその生活にシフト出来るように準備を合わせて行うことだ。そうすると、子供が継いだ後に、口を出すヒマもないので、その後の親子関係も上手く行く。売却した場合にもお金が入ってきて、時間が急に出てきても、何もしなければ頭がまいってしまうかもしれない。

1)開業医、2)中堅ドクター、3)ベテランドクターの3つに分けて書いたが、共通することは、数年先と引退の時期、或いは引退した後のことをイメージしながら、その準備を計画的に行いながら医療経営と自分の身の振り方の準備をして置くことだ。これは経営者にとっては絶対行っておいたほうが良いことだと思う。



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