早嶋です。
ウィリアム・シェイクスピア。1564年、ストラットフォードの町で商人の息子として生まれます。ご存知の通り、彼はやがて偉大な劇作家としてその名を世界に知らせることになります。写真はシェークスピアが生まれたといわれている生家です。
ストラットフォード・アポン・エイボォンはシェークスピアが生まれた町ということで観光地化されており、この日も修学旅行らしき学生が沢山町を歩いていました。シェイクスピアの生家も当時のコスチュームを身にまとった係りの人が内部の様子や当時の歴史などを説明しながら案内してくれます。シェイクスピアが寝ていたとされる心室にベットが置いていましたが、160cm程度のサイズで当時の人たちは小さかったことがわかります。
シェイクスピアの生家と並んで観光名所になっている所にアン・ハザウェイの家があります。シェイクスピアの生家から1.5マイルほど離れたところです。ハザウェイはシェイクスピアの妻で、彼女が結婚前に家族と過ごした家がそのまま残っています。ハザウェイの家はかなり大きな農家で”サッチー”と呼ばれる茅葺きの屋根が特徴です。中には、当時から使われていた家具や暖炉、オーブンや小麦粉を貯蓄する木の箱など、当時から使用されていたものがそのまま残っています。
茅葺き屋根の”サッチー”。この家に住む人をサッチャーと呼びます。時の首相、サッチャーも元は茅葺きの家に住む人でした。もともと中流階級の人だったので、言葉遣いをものすごく注意していたと言われています。実際、サッチャー首相の言葉はとても美しい英語だと賞賛されています。今でもそうですが、階級やクラスによって言葉遣いが違います。そのため、クラスがある人、つまり高貴な人や身分の低い人以外は、自分たちの言葉遣いに気を付けるようです。
ストラットフォードの町並みは殆どがチューダー調の建物です。木組みの建物で白と黒を基調にしたデザインです。古いチューダー調の建物は梁がたわみ傾いたり、壁がせせりだしたりしています。しかし、その建物をそのまま活かして普通に商店や家、ホテルとして使用しています。イギリスで言う”古い家”は17世紀以前の建物で、18世紀の建物は新しい部類になるようです。日本の30年しか持たない住宅は、彼らにとって「こんなの家じゃない!」と言われるに違いありません。
昔からの伝統や文化が継続して残っているところは、無理に観光地化しなくとも人が集まる。イギリスの多くの地域において、このことが言えると思います。