大学の学部生が年間に支出した生活日が8年間で3割減少しているというニュースがあります。不況が本格化する中、ピークだった2000年度よりも29%減少しています。
このニュースを見て色々考えました。
まず、2000年当時の学生と比較して今の学生は相対的に目に力が無いと感じます。ギラギラしていないというか、覇気が無いというか。志が無く、何を目指しているのか?が感じられません。言われた事もまともに行わないような気すらします。
次に、日本人の留学生が減少しています。1980年代半ばは日本人の留学生は急増し、5年間でおよそ3倍になっています。その後、10年とちょっとの間は一定の日本人留学生がいました。しかし、2003年頃より減少しているのです。
勤労者の世帯収入が減少傾向にあります。1999年の勤労者世帯の1か月平均実収入は1世帯当たり502千円で、2009年と比較すると8%減少しています。
さて、勝手な仮説です。親の収入が減少したため、親の気持ちが萎縮している。親の気持ちが萎縮しているので、子供は何もしない事を選んだ。実際、お父さんがサラリーマンとして仕事をしているよりも、自分でフリーターをして、家庭にパラサイトしていれば月に7万~8万円は稼げます。
家庭に1円も入れなければ、お父さんのお小遣いの数倍の金額です。努力をしないでも、そこそこ遊べるのに、勉強して何になるの?将来を考えても就職できないじゃないの?なんて考える人が多いのではないでしょうか?
先日、あるビジネススクールのマーケティング担当者とブレストをしていました。2000年頃と比較して、MBAなどの教育に興味を持っている人たちが減少していると。
また、研修をしていて、ビジネススクールに行っても、会社に戻った時のポストがあるのかが不安!日本の就職先も見つかるか分からない!という人までいました。
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何か日本全体に覇気が無くなっている感じがします。学生から社会人まで。これはビジネスのフィールドを日本だけで捉えているからではないでしょうか?
ITが導入された時代、デジタルデバイドという言葉がありました。ITを駆使する人と駆使できない人に貧富の差が生まれるという概念です。
現在の世の中は、グローバライゼーション・デバイドです。つまり、フィールドを閉じた日本だけで捉えて生きていく事と、日本は世界のひとつにすぎないと捉えて生き抜く事では、やはり貧富の差が生まれるのでは?という発想です。
事実、世界はフラットになっています。同じ労働能力を日本だけで比較したら、一定賃金が保証されますが、世界で比較した場合、日本人の賃金レベルが明らかに高い事が分かります。同じ能力レベルでも、インドや中国では1/3~1/4の賃金で行えます。
同じ能力レベルを安い金額でできる人に仕事が流れるのは当たり前ですね。しかも、彼らは世界のどこにでも出かけて仕事をします。一方、日本の多くの人にその考えは無いでしょう。結果、どのようになるのか?およその想像の通り、日本の経済は低迷するしかないでしょう。
バブル当時は、気持が大きくなって、皆外に飛び出ていました。外に飛び出るので、世界の経済を目の当たりにして、欲求が更に強くなります。その結果、ますます頑張って、欲求を満たすようになっていたのではないでしょうか?
今は?気持が萎縮します。外にも出ません、節約のため。そうすると世界で何が起きているのか?知る由もないので、なんとなく今をいきます。結果、知らず知らずに日本が沈んでいるのにも気が付かないし、自身の相対的な能力レベルが低下しているのにも気づきません。
これはまずいと思います。
穴のあいたポリバケツから水が出ています。そして、その穴の大きさが徐々に大きくなって、水がどんどん抜けていきます。一体、どのくらいの大きさの穴になったとき、水が漏れている事に気づくのでしょうか?
うーん、気付いた時にはほとんど、水が無くなっているかもしれませんね。
早嶋聡史
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