創造的地域社会
2021年6月3日
原です。
ここ数年、都市と地方を取り巻く環境や価値観が大きく変わりました。
社会や経済活動のグローバル化が進むのと同時に、人々の「心の豊かさ志向」は広がりを見せつつあります。
特に、東日本大震災以降、「コミュニティ」や「つながり」というキーワードが多く使われるようになりました。
また、現在のコロナ禍では、都市から地方や里山への移住や会社の移転の動きも一部で見られます。
戦後の日本経済成長と物の豊かさを追い求めてきた結果とは引き換えに、失いつつある心の豊かさを取り戻そうとする力が社会のあらゆる所で求められているようにも見えます。
日本は近代から現在に至るまで、人と地域の関係が大きく変化してきた国です。
戦後は地方から都市部への人口移動、雇用構造の変化が経済成長を後押ししてきました。
それに伴い、人々の社会への帰属意識が大きく変化してきました。経済成長と都市化のプロセスで、日本人の帰属意識は「会社や組織」という職域と「核家族」という生活域で過ごすことになり、ワークの場とライフの場に分離しました。
そして、それらをつなぐ場と言える地域やコミュニティの存在感は希薄になりました。
長年、日本人は働く場を自分自身の拠り所とし、自分がどの会社や組織に所属しているかが重要でした。
しかし、脱成長や脱工業化・脱炭素社会が共通認識となった現在、そうした帰属意識は揺らぎ始めています。
日本は経済成長を終え、終身雇用など日本的な働き方の時代も終わり、更には少子高齢化社会の問題が現実のものとなってきたからです。
定年まで働き、それ以降の余生をどう過ごすかが人生の大きな課題であり終活というキーワードも聞くようになりました。
職域から離れたところで、自らの心豊かさが高まる居場所を求める人々も見られますが、帰属意識が高い人ほど、その居場所を築いていくことはとても難しいと思います。
一方、私が実践している都市と里山での2拠点暮らしから学ぶべきことは多いです。
人口減少と超高齢化が進行する中で、過疎化していく中山間地域の里山では限られた地域資源を活かし、知恵と創意工夫で小さなビジネスや新たな価値観を持つ若者などによる社会的起業などの取組みも創出されています。
成熟社会での「あるべき姿」が求められている今日、従来の経済至上主義の価値観とは異なる新たな「創造的地域社会の価値」を再構築していく機会にもつながります。
そして、創造的地域社会への形成は、既存の地域共同体ではなく、ゆるやかなコミュニティが同時に創出しつつあります。
人口減少が進み、高齢化率が50%を超えるほどの超高齢化と過疎化の中、地方や里山の創造的な取組は、日本の未来の先進事例になると思います。
人口増加と経済成長の時代における日本社会のキーワードは「経済発展、工業化、都市化」でした。
しかし、人口減少と脱経済成長の時代は、「地域の自立、創造性、ゆるやかなコミュニティ」といった言葉をキーワードとして聞くようになりました。
つまり、従来の大量生産・大量消費・大量廃棄の経済システムに基づく工業化や産業化を超えた新たな経済システムが求められると考えます。その際に「創造性」は重要な思考スキルとなるでしょう。
例えば、大量生産=大量消費による「経済成長の限界」に突き当たった欧米の都市では、既に「欧州文化首都」事業など文化資本の活用や創造的人材の誘致による再生の試みが成功を創り出しており、日本においても、金沢市、横浜市、神戸市などでアーティストやデザイナーやクリエイター団体、企業、大学、住民の連携によって創造都市政策が推進されてきました。
このような、世界や日本における創造都市の推進の中で、国内の地域ではその考え方を応用して、創造地域を目指す地域イノベーションへの取組も創出されています。
今後の日本は、大都市が小都市や里山とwin-winの関係を構築することで、日本全体がより創造的に進むことが社会全体の新たな発展につながるのではないでしょうか。
アプローチで関係を構築する
2021年6月3日
高橋です。
私がコンサルティングをしている『営業プロセス研修』のエッセンスを、数回に分けてお伝えしています。
今回は『アプローチで関係を構築する』というテーマでお届けします。
前回に引き続き、新人営業パーソン向けのテーマで、そんなこと分かっているというベテランの営業パーソンもいらっしゃるでしょうが、よかったらお付き合いください。分かるとできるは別ですし。
先日も新入社員向けに営業研修を行いました。営業プロセスの全体像を示し、最初のプロセスであるアプローチについてワークをしながら研修しました。今回はそのエッセンスを抜き出します。
セールスのプロセスはどの業種でも概ね次のようなものです。
アプローチ→ヒアリング→プレゼンテーション→クロージング
アプローチの目的はお客様と関係を構築し、次のヒアリングに進む許可を得ることです。
人は誰でも初対面では警戒心を持つものです、その警戒心がなくならないウチには自分のことを話そうとは思いませんよね。だからアプローチで「このセールスマンにだったら話してもいいかな」と思っていただかなければならないのです。
では、関係構築のために何をすべきでしょうか。ポイントは5つあります。
1. お客様に興味、関心、好意を持つ
2. お客様との共通点を発見しながら、共感を獲得する
3. あなた自身の能力、ポジションを示す
4. 長期的なwinーwinの関係を構築したいという意志を伝える
5. 自己開示をする
研修ではワークを行いながら、次のようなことをお伝えしました。
1.お客様に関心を持つ
名刺にはお客様の情報がギッシリ詰まっています。が、そこから情報をとらえきれていない人を多く見かけます。
例えば、名刺をひっくり返して裏まで見ない。東京や大阪の支店が記載されていたり、詳細な事業内容が書かれている場合があります。
また、○○周年といった創業感謝のマークやキャッチフレーズを記載しておられる会社もあります。
それらは、お客様が関心を持ってほしいことですから、こちらとしてはぜひとも詳しくお尋ねすべきでしょう。きっと喜んでお話ししてくださいます。
また応接室や社長室に通していただいたら、室内をつぶさに観察することです、そこにもお客様が関心を持ってほしいことがいっぱいあります。
会社の理念や社是が掲げてあったり、建設会社なら施工した建物の写真が飾ってあったり(実績や社歴のようなモノですね)。なかには、社長がゴルフコンペで優勝したトロフィーや、スポンサーを務める野球やサッカーチームのユニホームが飾ってあったりします。
それらについても、必ずお話しを伺うようにしましょう。「よくぞ聞いてくれた」とばかりに盛り上がるはずです。
➁共通点探し
人は共通点があると、一気に打ち解けます、誰でも経験があることです。
出身地、出身大学、お住まいの場所、共通の趣味、共通の知人、など尋ねます。
簡単に尋ねるコツは「休日の過ごし方」です。やってみてください
「休日はどのようにお過ごしですか?」
「最近、山登りに行くことが多いです」
「そうなんですね、私も山に行きますよ、どこら辺の山を登られますか?」
「近場ですね、雷山や脊振山系の」
「そうですか、お気に入りの山を教えてください」
まとめましょう。
今回は営業プロセスの中のアプローチについてでした。アプローチの目的はお客様と関係を構築すること、警戒心を解いていただきヒアリングに応えていただく準備です。
アプローチのポイントは5つです。今回はそのうち2つについて具体的にご紹介しました。また機会がありましたら、残りの3つも具体例を出してご紹介したいと思います。
営業プロセス、顧客満足、人材育成、セールスコーチなどをお考えの経営者・経営幹部・リーダー・士業の方はお気軽に弊社にご相談ください。
EAP活用について
2021年6月2日
安藤です。
EAPは、Employee Assistance Program(エンプロイーアシスタンスプログラム)の略称で、従業員支援プログラムです。米国でのEAPへの相談内容は、精神疾患・ストレス・人間関係・キャリア問題・ナンシャル問題など幅広い問題に拡がっています。日本では2000年に公表された「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針(「労働者の心の健康の保持増進ための指針」に改訂)」でEAPが事業場外資源として取り上げられ普及しました。 パフォーマンスを下げる要因(ストレス、精神疾患、ハラスメント問題、トラブルなど)への関わりと共に、パフォーマンスを高める要因(キャリアデザイン、ワークライフバランス、コミュニケーションスキル、マネジメントスキル)への取り組みも行います。どのような問題に対しても、社員と組織の両者のパフォーマンスの改善・向上を最終目標として対応しています。
一般的には、EAPは専門家によって下記の2つのサービスが提供されます。
・職場の生産性、健全な運営の維持及び向上、またその組織ニーズの提言をする
・人間の行動とメンタル上の健康に関する専門家のノウハウを通じてサービス行う
(1)生産性に関わる提言を行い、(2)従業員をクライアントとして個人的な問題の整理や解決を援助します。個人的な問題は、健康(ウエルネス)、メンタル、家族、経済問題(借金など)、アルコール、 薬物、法律、感情、ストレス、など仕事の結果に影響を及ぼしうる様々な問題を意味します。
その項目はその組織の生産性に関わる問題やクライアント従業員の仕事に影響を及ぼしうる問題に個別に提言するアプローチです。具体的には下記の内容があります。
1.コンサルテーションを通じて組織のリーダーが問題のある社員への関わり方、職場の改善について、 あるいは社員のパーフォーマンス向上に有効な援助(サポート)や訓練を行う。
2. EAP利用促進を活発に推進する。対象者は従業員、その家族、そして、組織(課、グループ等)
3.個人的な問題により業務遂行に支障がでそうな従業員に対して、守秘義務を守り、タイムリーに問題の確認/アセスメントサービスを実施する。
4.業務遂行に影響の出ている従業員に対して建設的直面化、動機づけ、短期的介入を提供。
5.診断、治療についてはリファーを行い、援助、フォローアップを行う。
6.問題行動(アルコール、薬物、精神疾患、感情問題等)に関して医療保険等でカバーできるように顧客組織や従業員にコンサルテーションを行う。
7.組織の業績や個人の仕事ぶりに関わる効果の評価、見直しを行う。
最近の傾向として、EAPの現場で感じることは「コロナ禍で業務のやり方の変更など仕事量が増えた、オンライン化が進み会議が増え仕事時間が長くなった、仕事以外でのコミュニケーションが少なくなり業務のことで相談しにくい等」のメンタル不調の増加、また、30代~40代の方はキャリア形成についての悩みなど多岐にわたります。EAP外的資源活用は、パフォーマンスを下げる要因(ストレス、精神疾患、ハラスメント問題、トラブルなど)への関わりと共に、パフォーマンスを高める要因(キャリアデザイン、ワークライフバランス、コミュニケーションスキル、マネジメントスキル)をサポートすることで、組織と個人の発展に繋げられると考えます。
私毎で恐縮ですが、この度、国家資格キャリアコンサルタント1級技能士(国家資格キャリアコンサルタント
指導者レベル)を取得しました。メンタル・キャリアの統合面でEAP活動の幅を広げるだけでなく、企業内でのキャリアコンサルタント取得の方々・目指していらっしゃる方の指導、また、資格に関わらずキャリアコンサルタント育成を検討されている場合は、お声かけ頂けたら幸いです。気軽に弊社にご相談くださいませ。
自由の本質
2021年6月1日
早嶋です。
(キャンバスに自由にかけない)
小さい頃、自由に絵を描きなさいと言われた時に、「目の前の果物を擬人化して、その果物が食べられる瞬間に、人に掴まれて皮をむかれる悲壮な姿をイメージして」絵を描いたことがあります。少なくともそのような情景を浮かべていました。表現力は無かったものの、出来上がった絵は誰も理解できない絵だったようですが、当時の早嶋少年は大満足でした。
当時のお題は、果物の静物画。家からもってきた果物をみんなで描く授業でした。でも先生が並べる配置は、教科書通り、なにも面白味が無く感じました。しかし先生は自由に好きなように描きなさいという。周囲は、完全に教科書通りの絵を描いて、私は自由に描くという言葉に引っ張られ過ぎて暴走したのでしょう。
自由に絵を描きなさいと言われ、筆が進む人は少なく、何かをお手本に絵を描いていくことで自分の作業を進めることに安心する人が世の中的には絶対数だと思います。既存の事業を与えられ、細分化さらたバリューチェーンを一生懸命に覚えて経験を積んで成果を出す。だれも新規に自由に事業を創造することなどしたくないと思うのです。ここに自由の本質があるのだと思います。
(プロテスタントの出現)
マルチンルター。若いころに経験した苦を抑えるためにアウグスチノ修道院に入り修道生活をはじめます。しかし修道に励めば励むほど彼の中で矛盾が生じていきます。半ば神に対しての絶望があったのだ、というより神を利用している一部の権力者の愚行に怒りを感じたのしょう。そんななかパウロの言葉が彼をあらたな方向にリードすることになります。
「神の儀は信仰に始まり信仰に至らせる」だ。
当時は一部の教皇が聖典の解釈を活用して、罪に対しては免罪符を購入することで救われるという慣行があった。まさに、お金によって好き放題する一部の富豪や権力者の暴挙が目に浮かびます。当然、富の分配を受けない多くの一般市民は悶々とした日々を過ごしたことでしょう。ルターはそのような取組を一切否定し、信仰の究極的な権威は聖書であり、聖書と共に教会の権威を持つカトリックの思想に対立したのです。
ルターが唱える考えは、従来の信徒の信仰生活に大きなイノベーションをもたらしたことでしょう。洗礼とミサのみを残し、教会主導の不合理な活動は廃止、典礼はラテン語からドイツ語に翻訳され説教中心の内容になりました。修道士や聖職者の身分をフラットにして、自らも妻帯に踏み切ります。そして一般初等義務教育の概念を導入して近代の教育制度を打ち立てたのです
。
欧州におけるルターの宗教革命は、単にカトリックとプロテスタントの対立のみならず、政治、経済、国家、階級、教育、思想、文化などに複雑にからみ当時の世の中の変革に大きく寄与しています。ルターの「人は悪」、そのために「自我を消し、神に服従する考えや、ひたすら勤労することで神に服従する思想」は、やがて近代資本主義のベースを作ったと思います。
(ファシズムの台頭)
藤沢道郎著「ファシズムの誕生」には、1920年前後のイタリア政治や社会状況をドキュメンタリー調で描写されています。第一次世界大戦から主人公のムッソリーニを中心に三島由紀夫も傾倒したマルクス主義の思想家であるグラシム、長らく首相を務めたジョリティなど当時を代表する登場人物の考えを垣間見ることができます。ファシズムそのものは独裁の一種とされるみたいですが、その範囲は多数の議論がされています。ひとつの分かりやすい考えは、自由を反する思想です。
ユニークなのは、自由を求めて自由になったとたんに、なんだか息苦しくなっていく。だからと言って完全に共産的な取組も嫌だし、保守的な動きも嫌だ。そこで何らかのリードしている人の下に従属した方が気持ちが楽になる。というような考えがあったのでしょう。
フロム著の「自由からの逃走」はまさに自由の代償について論じた本です。封建社会の中にいる人々は、役割があり、その役割を全うする中で自由があった。しかし世の中の革命児の出現とともに毎度その制度が崩壊することで、本来籠の中の鳥としての自由が無くなり、鳥かごの外に出た瞬間に自分を律することができなくて混沌としてしまう。歴史はこのサイクルを繰り返しているのでしょう。
フロムの主張では、本来の自由の中に取り残された多くの人間の行動は次の3つに行きつくと言います。そのキーワードは権威、破壊、画一です。
(自由の代償)
権威は2つの方向性があります。完全に自由になれば、その自分の自由さに対して不安が生じます。その結果、社会的欲求が強くなり何かの組織に属したくなります。ファシズムの台頭が、当時ピシャリはまった理由は、個人が自由に開放された結果、今度は一気に不安になった背景があったと思います。
一方で、ある程度自分の主張ができる人は、周囲からの承認欲求が強くなり、自分の権威を使って組織化したくなります。どちらの方向性も人間が求める権威に対しての志向でそもそも人間は力以外のなにかにすがりたくなるのでしょう。
動物の世界では、この権威はおそらく力そのものだったと思います。近くの動物園の猿山は、「権威=力」です。リーダーは常に力を示し、組織を統率します。そのため力による序列があり上はNo1 から力の順番ができているそうです。ただ、あまり記憶が良くなく、時々No8とNo9が勘違いして喧嘩をして力関係を確かめるなどの行動が観察できる層です。また、当然No1は老いなど何かしらの理由でNo2に負けることがあります。人間の世界以上に、力で負けたリーダーの末路は悲惨だそうです。
人間は外部からの刺激を自分のアタマで解釈して動くことを覚えた結果、力以外の何かで自分達の強さを示すことができるようになりました。その結果、力に加えた権力が動物界よりもより発展していくことになったと思います。
2つ目は破壊です。自由に生きているはずが、なんだか不安になってしまう。ふと自分よりも自由に生き、周囲で活躍する人を見た瞬間から自分の自由に疑問を持ち、葛藤が始まり、嫉妬を抱くようになります。その時の人間の対応が破壊です。周りを悪だと認識した人間は、何らかの方法でその人を潰してしまう、或は危害を加えなくとも、その人の存在がなくなって欲しいと願います。この直接の行動や思想を持つことそのものが破壊の象徴です。逆に、自分を悪だと認識した人間は、自分の存在をこの世から消してしまいたい、自分がい無くなれば良いと考えてしまいます。やはりこの行動や同様に発想すること自体もやはり破壊の始まりです。
フロムの最後の主張は画一です。自分の考えを消し、ただただ周囲の考えに交じり、あたかも同じ自分を楽しむのです。周囲と自分が同じだと認識することで、周囲との相対的な比較が不要になり自分の均衡を保とうとするのでしょう。
思春期に自分を表現する若者が2種類いたとしたら、髪の毛を真っ赤に染めて突っ張るヤンキーと、流行を追いかけ朱にそまるマジョリティです。どちらも罪は無く、自由を手に入れたいが本来の欲求が結果的に苦しくなり、大多数の人間が画一に染まることで安堵を感じていくのです。若者を中心に同じような格好や言葉やスタイルを好む昨今、完全に自由になることへの恐れを抱いているとも考えられるのです。
(八百万の神にっぽん)
フロムが著書を書いた時期は1966年。今のスマフォ片手にコピペによってすべてが構築できる社会は、当時からすると画一世界の集大成でしょうね。デジタル化はモノゴトを完全にコピーし同じにすることですから、違いがでない。そのためにグローバル化により、世界を完全に一つやいくつかのパターンで統合できると考える権威保持者が出てきたのです。中世は王族や侍大将がエリアの統合を目指し、近年は企業が世界制覇を目指します。
すべてを統一化できるという発想自体、すべてのモノを均一化することができるという究極の過ちのような気がします。権威をかざせば、その権威の中で、昔の封建的な制度が復活して、その枠組の中で人々は安堵して生活すると。
考えてみると、この究極のポジションをとりがちな思想が絶対伸の存在か、多神教的な発想かにつながるのではと思います。今回の議論のスタートは宗教革命です。そしてその革命は一神教をベースに勃発しています。一方で日本古来の神はいたるところにあり唯一無二と考えません。西洋の思想は偶像崇拝の有無はあるにせよ、基本的に神はひとつです。この一神教と多神教の考えそのものに、思想としての根底に自由を与えるか否かが見え隠れしていないかと思います。
フロムの主張はその意味でも非常に興味深いです。自由からの逃走の果てには何があるかと言えば、「自発的な活動と世の中を結び付ける行為、そして他者に与えること」とフロムは表現していました。
自由にいきましょう。自由に表現しましょう。自由に作文して下さい。自由に創造してみて。きっと多くの人は、「自由」という何も無い空間に自分を置くことを創造すると急に怖くなり、結果的に何らかの制約条件の基で動くことに安心を求めるのでしょう。一方で、一定数はその自由が好きで何も縛られない世界を築くことに喜びを持つ人間もいるのです。
きっと後者の人間は、ある意味、覚醒しており悟りを開いた状態か何らかの神経メカニズムがマジョリティと異なるかなのでしょう。ただ自然の中にいれば花鳥風月があり、すべての景色は異なり、毎日が移ろうことを知っている日本人は、画一に染まることなく足るを知り、権威を示すことなく、権威に依存することもなく。周囲を破壊することなく、自分を潰すことなく、ありのままの自分で行動し思考し生きることができるのかな。
だけど、それが出来ないと思っているから苦しいのでしょうね。
個性を伸ばせと言う前に、受け入れる社会を創ろう。
2021年5月27日
早嶋です。
私が小学校の時頃から個性が大切だと聞かされた。が、実際に個性が際立つ人は、先生に目をつけられ個性を潰された。それでも自分の違和感やみんなと違うことに対しての息苦しさを誰かに気づいてもらいたかったのだろう。彼ら彼女らなりに表現をした。その方法は周りからすると「なんで?」となるが、彼ら彼女らからすると、それ以外の方法を他に知らなかったのだろう。髪を赤く染め、ちょっとだけ丈が短い、あるいは長い学ランを羽織り、ちょっとだけワタリが太い、あるいはちょっとだけ足首が細いズボンを履いて主張するのだ。明らかに寂しく、根底は誰からか注目してもらい、自分をわかってもらいたかったのだろう。
個性って、基本的に人と人を隔てるなにかとすれば、それは自然に自分に身についたモノだから、その個性は自分ではコントロールできないものだと思う。
私の髪の毛は、今日のように湿度が高くなると、ありえないくらい巻き出す。小さい頃は、この髪の毛が嫌で嫌で仕方がなかった。高校生の時にお金をためてストレートパーマをかけて登校したことがある。周りのみんなが直ぐに気づいた。「かけたの?」って。自分の中ではまっすぐ伸びた髪の毛をみて嬉しかったが、2日、3日もすれば髪が巻き始めた、相当強烈なくせ毛なのだ。
ある日先生に尋ねられた、ストレートパーマが取れたくせ毛がいい感じにパーマを掛けた風に見えたのだろう。当時の校則はありえないくらい個人の人権を無視していたので髪を自由にする権利など高校生にはなかった。「パーマをかけたろ?」と先生。「はい」と私。「だって髪の毛がクネクネしていてまっすぐしたかったら」と私。そして先生は笑った。なぜかと言えば、逆に捉えていたからだ。元々真っ直ぐな髪に、あえてのパーマをかけていると思っていたのだ。じみにパンチを食らったようでショックだった。実際は大したことでは無いが、髪の毛の話は当時の私に取っては大きな悩みだった。
しかしそれは私にどうにもできることが無いことで、一度それを受け入れることができればどうなるだろう。今のように、むしろ髪がクルクルしていると手入れをしなくて楽になるし。セットしてもしなくても、そもそも変わらないのだし、手間がかからなくて楽なのだ。
個性って人と人を隔てるなにかなのだから、当然に自然に身についたモノで、その個性は本人にもコントロールできないのだ。そこで個性を受け入れて、自分の特徴を理解することができれば、かなり楽になる。加えて、それは自分にだってどうすることもできないことだから受け入れる態度を取った瞬間に世界が変わりはじめるのだ。
しかし、次の困難がやってくる。他人が自分の個性を受け入れることをしないのだ。個性が大切といいながら、個性を潰す行動をとるからだ。その理由は、組織を管理したい大人が沢山いるからだと思う。自分の都合の良いように人を束ねて何かを成し遂げたいと思っているのだ。
例えば、世の中、個性を大切にしようと言っているが、実際に個性の集まりは管理することが難しいし、みんなの意見を聴いてなにかを進めようものなら、基本的に話がぐちゃぐちゃになってしまうから、何らかのタガにはめて丸め込みたいと思っている。と思う。ということで、ある程度の合理性っぽく見せた、見せかけのルールを作り、縛り、管理したいのだ。
そのため比較的おとなしい(このおとなしいのは静かだとかいう意味ではなくて、強烈ではない程度の意味で)個性の持ち主であれば、その枠の中にたまたま収まり息苦しさ等は感じないものとしよう。でもちょっとだけ他と比較したら強烈な個性を持っている人からすると、その枠の中に入ることすら耐えられないのだ。そして、その感覚は個人でもどうすることもできない。それが個性だからだ。
その時に、本人が本人の個性を知っていても、それを他人が見た時に、意図的にその枠から出ているのだと勘違いする場合が現時点では圧倒的に多いと思う。その他人はたまたま、枠の中に収まった個性の持ち主で、自分が当たり前で、他のみんなも同じようなものだと思っているかもしれない。その場合、ちょっとだけ枠から外れた他人をみると理解できなくなる。なんで枠の中に「収まらない」のだろうと疑問を持つのだ。ポイントは、収まらない人は意図的に、本人の意思で敢えてはみ出ているに違いないと推定してしまうことだ。
しかし枠から出ている当人は、それが個性の為せる技で、自分で意識してもどうにもできないことなのだから、結構大変なのだ。この困難を乗り切るためには、自分の個性を受け入れ、周りと自分が違うことを受け入れることにあると思う。
しかし、またここに困難が待ち受ける。それはみんなは同じだというところに属していると勘違いしていることで、何らかの安堵感を持っている人が多いからだ。米国の心理学者のマズローは言う。人は生理的欲求、つまり腹減ったとか喉乾いたとかを満たせば、次に安全の欲求を求めるという。家の中や敵から守られているなどだ。すると徐々に社会的欲求が芽生えてくる。何らかの組織や社会に属しているという欲求だ。ここで、人は自分は他と同じだと勘違いするようになったのでは無いかと私は思う。社会的欲求を満たすためには、自分の個性を殺して他と或いは他の組織の中に属しやすいような理想の勘違いの自分を想定して、そこになりきろう、収まろうとするのだ。そして、今たまたまその取り組みができた人が多数で、その取り組みができなかった人がアウトローと言われているのかもしれない。
だけど実際は違うのだ。その証拠は、人は常に幸せをもとめたり、常に他人と比較して自分の存在を認める節があることだ。ガリバーの話は秀逸で、小人の国に行ったときは自分が大きな人になり、巨人の国に行ったときは自分が小さな人間だと勘違いして性格まで変わってしまった。しかしガリバーはガリバーなのだ。
本当は、個人は個人で相対的な存在である必要が無いのに多くの人は絶対的な個人を持つことを苦手としている。だから常に自分自身と比較することなく、他人と比較してしまうのだ。ここが根本で息苦しさの理由になるのだ。
個性とは人と人を隔てる何かで、それは自分ではコントロールできない。自然に宿っているものだから。だから個人でもそれを理解して、個人の個性を受け入れる。そして他人に対しても他人の個性を理解して、次に受け入れる。みんな同じと考えないで、当たり前だけど違うんだよと受け入れることを始めたら、きっと世界はちょっとだけ行きやすくなるものだと思う。
ルール1:自分の個性を理解する(クルクルパーマを受け入れる)
ルール2:自分の個性はどうにもできない(ストパーをかけても基に戻る)
ルール3:他人も別の個性を持つことを気づく(ストレートヘアの人もいる)
ルール4:他人の個性を受け入れ、皆違うことを理解する(意図的に剃っている人もいれば、生えない人もいる)
ルール5:比較しない。みんな違うのだ。バカボンのパパのそれでいいのだ。は実に奥深しい。。
【動画】令和3年度長崎県市町村「地域づくりコーディネーター養成研修」マーケティング編
2021年5月26日
本ページは、令和3年度長崎件市町村で実施する「地域づくりコーディネーター養成研修」のマーケティング研修・収録動画研修のページです。
2021年7月7日に実施される研修に参加される方は、事前に以下の動画を視聴して下さい。
パスワードは別途事務局から連絡します。
【マーケティングの基礎動画】
漠然としたマーケティングについて整理を行います。はじめは、マーケティングの基本的な流れや考え方を整理する目的でBtoC(一般消費者向け)を中心に整理します。7月7日のワークショップでは、基本的なマーケティングの考え方を基に、地域づくりを考える上での演習をとうして理解を深めていきます。
①マーケティングの流れ
マーケティングのイメージやワクワク感を持って頂くために、これまでの変遷や定義についてインプットします。また、マーケティングには一定の型(R-STP-4P-CRM)があるので、その整理と理解を行います。こちらのインプット講座は、早嶋が熱を入れて語りかけています。マーケティングのスイッチが入ることでしょう。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ea25885-e894-4fc0-a324-12f4a0106aeb
②顧客価値
顧客の価値を理解するために、ニーズとウォンツの整理。価値についても機能、感情、社会の視点を取り入れます。それから顧客視点で物事を考えることが結果的に事業の成功につながるかを整理してマーケティングの取り組み自体が顧客価値の追求であることを理解します。前回同様、早嶋の熱量たっぷりの動画です。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ea270c6-95c8-419c-a811-3429a0106aeb
③顧客のゴール(R)
マーケティングと想像すると調査や分析と答える方が一定数います。こちらではマーケティングにおける環境分析やリサーチの目的や考え方について整理しています。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ea7a0c6-bde0-4cc9-b5d8-138ba0106aeb
④顧客の決定(ST)
市場を定義するセグメンテーションと顧客ターゲットを選択するターゲティングについての説明です。従来は人口属性などをベースにセグメント分けしていますが、4つの属性グループを意識的に組み合わせたセグメンテーションが効果的です。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ebe6205-939c-4a80-856d-2058a0106aeb
⑤提供価値の決定(P)
商品独自のドメインを決定して、独自の提供価値を決めるポジショニングについての説明です。ポジショニングは、マーケティング活動を行う中でも非常にワクワクする取り組みの一つです。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ebe622d-f75c-4588-9abc-0b18a0106aeb
⑥実行策の構築(4P)
これまでのR-STPを踏まえて、商品や価格、そして流通やプロモーションについての大きな方針を立てることについて説明しています。4Pのフレームワークは非常に重要ですが、ポジションを意識しながら全体の4Pの整合性をつくることがマーケターの醍醐味です。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ebe710a-9e94-4a5f-a8ee-0b15a0106aeb
⑦顧客のマネジメント(CRM)
成熟市場では新規顧客の開拓よりも既存顧客と関係性を深めて、生涯にわたって顧客のあったらいいなを解決することが大切です。そのために顧客を管理してマネジメントする考え方について整理しています。
URL:https://app2.gemediar.net/movies/preview/5ebebcf9-6708-4ba0-8b60-0b18a0106aeb
マーケティングが面白いな!という方は、更に次のジョブ理論の動画も参考下さい。なお、こちらの動画は必須ではありません。
早嶋聡史の実践「ジョブ理論」の動画はこちらをクリック下さい。
小さなサブスクビジネスの可能性
2021年5月25日
◇サブスクリプションビジネス百花繚乱
原田です。
現在、動画のサブスクリションビジネスはまさに百花繚乱です。圧倒的に強い「Netfilx」、Amazonの「Prime Vido」、ディズニーの「Disney+」、アップルの「Apple TV」など、世界に冠たる企業が運営しています。
日本でもTV局系列の「hulu」、「UーNEXT」、「FODプレミアム」などが、一気に立ち上がりました。その他にも多くの企業が参入しました。種類もアニメ専門、スポーツ専門など沢山あります。
資金とブランドがあれば、新規参入は簡単なので、続々と大手企業が参入しました。しかし、現状を見ると動画系サブスクリプションは、「Netfilx」の一人勝ちのようです。この競争が激しい業界で、「Netfilx」は世界的に値上げをしました。現時点では、初回の期間無料のキャンペーンもやっていないようです。続々とオリジナルの作品をリリースして、ヒットさせています。
◇「Netfilx」の「強み」の源泉
「Netfilx」一人勝ちの背景には、コンテンツ作成能力という「強み」があります。2019年のコンテンツ制作費用は約1兆5千億円です。NHKの年間製作費の5倍です。もちろん今は、更に多額の費用をかけていると思います。
制作費用が潤沢なので有名な監督、俳優、様々なクリエイターなど優秀な人材が流れ込んでいます。日本のお家芸のアニメでも、アニメーター「丸抱え」の仕組みを作っています。日本の制作会社と提携し、アニメーターの育成費から、その生活費まで負担しています。
お金が潤沢なだけでなく、監督にはかなりの裁量が任されているようです。TV局が敬遠するような際どい内容の作品を作ることもできます。日本のテレビ局のように過剰な自主規制に縛られません。アップルやディズニーのように今まで積み上げてきた守るべき企業イメージもありません。この制作の自由度も大きな魅力です。
現場はお金があるだけでなく、才能のある人が集まり、いい作品を作りたいという意欲に溢れています。
「Netfilx」のコンテンツ作成については、膨大な利用情報をAIで解析してユーザー層に合わせて好みの映画を作れる云々と、本や記事に専門家が書いてあることが多いです。圧倒的な量のデーターベースとその解析で、ユーザーをいくつかの層に分けて、ヒットするコンテンツを企画できるようです。しかし、何より現場の意欲の高さが強みの源泉だと思います。
◇ニッチビジネスの可能性
「Netfilx」一人勝ちの構図が形成されるなかで、ニッチなサブスクリプションのビジネスチャンスが広がっています。
注目しているのがダンスのDリーグです。プロのダンスチームが、1年間複数のラウンドで順位を競い、最終的なチャンピオンを決めます。2020年8月に発足したばかりですが、すでに名だたる企業が、スポンサーやオーナーに名を連ねています。
専用のアプリをダウンロードし、1年間6,600円の有料会員になると様々な特典がつきます。そのなかで面白い取り組みは、有料会員が、ラウンドの審査ポイントを得られることです。
Dリーグでは、100点満点の計算で順位を競います。その得点は、プロの審査員による得点と、有料会員による得点を合わせたものです。単に視聴するだけでなく、有料会員が得点を付与することができます。その勝敗に関わることができます。インタラクティブなエンターテイメントができています。
今の若い人たちはダンスがより身近になっています。ダンスは中学体育の必修科目です。若い人は、自分たちのダンス動画をTikTokに投稿しています。ダンスは単なる娯楽ではなく、コミュニケーションツールであり、自己表現のツールです。これからも競技人口は増えていくと思います。周りを気にせず大音量で音楽をかけてみんなでダンスが自由に踊れる場所のニーズはあると思います。そしてアマチュアチームの発表の場もニーズがありそうです。そう考えると、ダンスは、さらにインタラクティブにリアルとネットを融合できそうです。これはコンテンツが一方通行の「Netfilx」ではできないことです。
◇スモールサブスクリプションビジネスの可能性
魅力的なコンテンツがあり、コアなユーザーがいて、インタラクティブなエンターテイメントが実現できれば、小さな企業でも優良なプラットフォームが構築できます。更に、リアルのサービスと組み合わせて収益を上げる仕組みができれば、その優位性は確固たるものになります。
実際に、タレントやビジネス系の有名人がそのようなプラットフォームを作っています。しかし、これはファンクラブの発展形のようなものです。今後、個人のネームバリューに頼らない、一つのビジネスのカテゴリーとしての、小さな確固たるプラットフォームが生まれてくると思います。
今はアプリの開発も多額の費用はかかりません。アイデアと熱意があれば、ビジネスを立ち上げることができます。そして、その後の工夫と努力の積み重ねが重要です。もちろんサラリーマン感覚ではダメです。動画系サブスクに参入した大手企業の死屍累々たる状況を見れば、それがよくわかります。みんな同じような内容だし、同じようなキャンペーンをやっています。何かびっくりするような新機軸のアイデアはありません。何か斬新なアイデアがあっても、組織内(巨大なグループ)の稟議や調整でなかなか実現できないでしょう。
何より大切なのは、関わる人のチャレンジ精神や意欲です。それがなければ人の知恵と工夫は生まれません。テクノロジーが発展しても、ビジネスの成功を決めるのはやはり人の感情です。
【動画】中小M&A推進計画
2021年5月24日
早嶋です。
中小M&A推進計画。今後5年間にM&A関連に関して官民が行うべき方針をまとめた資料です。国の目的は中小企業の貴重な経営資源を将来につなげることを目的にM&Aアドバイザー等、推進する側の話をまとめています。基本的にはM&Aを業として提供する方々を何らかの方式で管理し増やしたい意向ですが、具体的な取組はこれからでしょう。
一方で、買い手と売り手がM&Aを行う際に、アドバイザー等の不備があり整備しなければならないという記述があります。しかし、本来は売り手も買い手も自社での戦略を明確にしながらM&Aを活用するか否かの判断なので、もっと覚悟を持って経営しなさいよ!的なメッセージがあっても良いのかな?と思います。
例えば、後継者不在や債務超過で経営が大変になったよとか、確かに大変だと思いますが、もっと早めに準備しとこうよ。という内容です。当然、有事等でどうにもならないこともありますが、後継者が不在というのは現在進行形で分かっている話。世論としてはあたかも少子高齢化が悪いような感じを受けますが、ただ単に経営者の準備不足なのです。
M&Aの業者、つまりM&Aアドバイザーに対しての不備も多数指摘がありますが、業者に丸投げする側もいかがなものかと感じます。今回の中小M&A推進計画は、主にM&Aアドバイザーや業として今後M&Aを推進する組織に対しての話です。しかし今後は経営者として、経営の読み書きそろばんの1つにM&Aに対してのナレッジを身に付けていくことは必須のような気がします。
自然は描くことができない
2021年5月19日
早嶋です。
ふと、小学校の美術の授業の時に「自然を描く」というテーマの中で私だけコンクリートの壁を熱心に描いたことを思い出した。他の小学生は、もちろん教科書通りに山と空と近くの林を描いた。私なりにコンクリートの壁を描写することで主張したいことがあったが、当時はそれを表現できなかった。
自然とは。国語辞典等を引いてみると、「人為が加わっていない、ありのままの状態や現象」とあり、その対に人工とある。
これらをベースに考えると山、海、空など人工物の少ない環境は自然環境と呼ばれる。また人為が加わらないという解釈だけだと、人を除く生物全般も自然になる。一方で人は人為を加えて創造した生物では無いとすれば、人もまた自然と捉えることができて、天地や宇宙の万物を示すと考えることができる。
ちょっと考えただけで面白い。
今44歳で確かに小学生の時に紙一枚に目の前のコンクリートの壁を丁寧に描写した。実に30数年前だ。その頃の山は、当時私が通っていた学校からの景色だから岩屋山だ。すでに誰かが登っており、頂上には何かの観測のための設備と、電力を送るための送電線らしきものが山の中腹に見え隠れしていた。人為が加わっていると捉えると、その山は自然ではないし、あるいは一部は自然ではないということもできるし、人もまた自然の一部としたらそれもまた自然ともいえる。うーん。
もちろん、それは山は自然ですよ。そして早嶋少年の目の前のコンクリートの壁は人工物でしょう。という話は先生もしなかったと思うが、幼いときの早嶋少年はどこか偏屈な考えを持っていたので、概念的には同じではないかと考えていたのかもしれない。しれないというのは、その記憶が今朝、突如出てきたので、その記憶が正しのか、今作っているのかがわからないからだ。ただ、当時の絵はおそらく実家の押し入れの中のダンボールの中にあるはずだ。ただその作品はおそらく自然を書いたつもりだが作品は自然ではない。
古代ギリシャでは自然はピシュスとされ、世界の根源とされ絶対的なモノとして把握されている。その対立は人工ではなくノモスで法や社会的な制度とされた。その理由は自然と頃なり相対的な存在で人為的なモノであるから変更が可能というところで、対立の概念に置かれているのだ。このような対立を立てて考えるアンチテーゼはいかにも古代ギリシャらしいと思う。そんなに沢山の書物は読んでいないが。。
中世ヨーロッパのスコラ哲学の中にも自然の記述がある。「神は2つの書物を書いた」それが聖書と自然だ。聖書を読むことで神の考えを知り、万物のベースになっている自然を理解しようとするのだ。面白い思想だと思う。数学者で知られるガリレオ・ガリレイは神は多数の言葉で聖書を書いて「数学の言葉で自然という書物を書いた」と述べているらしい。
この話は英語の語源にもある。法則や法律を意味するLAWがそうだ。Lawは置くを意味するLayの過去分詞で、「神によって置かれたもの」が由来だそうだ。今教育やビジネスでも熱く議論されているリベラルアーツも聖書を理解するための文法、修辞学、弁証法と自然を理解するための算術、幾何、天文、音楽の7科としている。まさに自然、数の言葉で書かれたほうの書物を理解するために身につけるべき視点なのだ。
日本では「しぜん」を「じねん」とよぶ場合もある。万物のありのままの存在を示し、因果によって生じるものではないとする考えのとき「じねん」という。全てに因果があると考える仏教の因果論の対局で、無因論ともいうべきものだ。そう捉えると自然は外からの影響なく本来持つ性質や、その一定の性質から派生してできたものと捉えることができる。そこには偶然やたまたまもあり得ると思う。少なくとも今と違って、古来の日本的な考えの中には、今の自然と違って、人と自然の間に隔たりを持つことなく、ただ自然(じねん)にあるもの。という精神風土が少なくとも日本にはあったのだろう。
養老孟司さんは、自然は常にあるもので意味は無い。とする。前述した感覚所与の話と同じで人は得られた感覚を脳みそを通して意味を考え、最後はその意味が無いものを無視してしまう傾向にある。
現代社会の人が自然を見たときは、おそらく感じることではなく、その感じた結果に対して無理くり意味を見出して自然を楽しみ、慈しみ、懐かしみと、とにかく自然という本来意味の無いものに対しても意味を感じているのだ。そのため、人が意味を感じなくなってしまえば、その空間や概念は目の前にあったとしても、その人からは存在そのものを消されてしまう。物理的に存在するものは、その人の目の前から物理的に破壊され消去されてしまうのだ。
結果的に感覚所与を意味のあると思うものに限定して、最小の世界を作りだしたのが現代の思想で、最小の世界に閉じて世界を満たしている人の特徴が都会人だと養老孟司さんは主張している。実に面白いと思う。
小学校の授業で自然を描きなさい。というお題は、感覚所与で感じる自然、つまり意味の無いものに対して、人のアタマを通して考えさせ、その人のアタマの中での意味に解釈しなおした作品を表現する。というのであれば、当時の早嶋少年が書いた目の前のコンクリートの壁は、それまでは確実に自然だったと言える。少なくとも当時の早嶋少年は、そこにコンクリートの壁があることを議論することも考えることも疑問に持つこともなかったのだ。そこに自然を描きなさいという究極に問答のようなお題によって、結果的に意味のあるものを創造したのだから。
つまるところ、禅の問答のように自然を描くことはできないのだ。自然は意味がないもので、その意味が無いものを書いた瞬間に、誰かがアタマの中で考え始める。その瞬間から、描いた対象やその作品自体に意味が出来上がってしまうからだ。
ルネ・マグリットの作品の中にイメージの裏切りがある。パイプの絵の下にフランス語で「これはパイプではない」と書かれた作品だ。
当時の早嶋少年を後押ししたい。目の前のコンクリートの壁を書いても、本来の自然を描くことができたとしても、それは見た人が意識した瞬間に自然ではないはずだ。もしそれができるとしたら、それはすなわち神になる。これまで神しか自然を記述することができなかったのだから。
すなわち、自然を書いてとするお題自体が確実に矛盾であり、できもしないお題なのだ。それだったら、教科書をじっと見て、パクって、似たような自然の絵を描きなさい。もっと言えば、先生が描いて欲しい構図を予測して、小学生らしい作品を仕上げなさい、と先生は言うべきだったのではと。
ふと、小学校の美術の授業の時に「自然を描く」というテーマの中で私だけコンクリートの壁を熱心に描いたことを思い出した朝だった。
【動画】ハイブリット研修
2021年5月17日
早嶋です。
企業研修のスタイルを大きく変えています。インプットを動画で提供し、事前に課題等を提供。研修時間を短くして、対面、もしくはオンラインを活用して課題を中心に議論やQAや深堀をするスタイルです。何となくハイブリット研修と呼ばれるようになっています。
従来の研修は、およそ9時から17時の間で、
9:00 目的共有やアイスブレイク
9:30~12:00 ※研修
13:00~16時30分 ※研修
16時30分~17:00 まとめ、振り返り
でした。
そして※研修は通常、知識や事例のインプット、ミニワークや事例を理解いただく解説、ワーク、振り返り、QAという内容を繰り返す立てつけです。※研修の内、インプットや考える時間は全体の6割、考えた内容をベースに議論や深堀やQAのセッションが3割です。残りの1割がイントロとアウトロ。
ということで、全体の6割の部分を事前に動画と事前課題で行っていただくことで人員を同時に拘束する時間を全体の研修の3割程度にすることができるようになります。あるいは、少しだけ前説や内容の説明を行ったとしても研修時間を半日で従来の1日の提供をすることが可能です。
更に、演習や課題のフィードバックをオンラインで行うことで、テレワークが今後常態化しても研修を提供しやすくなる。また、動画を活用することで研修の振り返りもできて効果が高まります。
これまで、インプット部を長らく書籍で行っていました。あるいは、ブログを書いて文章で行っていました。しかし、実際多くの参加者は事前に読んでいない!というのが通常でした。現金な話、図書を購入頂いているので印税は幾分か入ってきて良いのですが、やはり中身を読まれないというのはもったいない。。
特に、階層型の研修は事前課題を課しますが、行っていないことを前提に当日のファシリテーションを進めていかないと上手くいかない。という実態でした。だったら課すなと思われるのでしょうが、クライアントの意識的に出したい場合が多くてしかたなく。というのもありました。
これを動画に切り替えることで、見て頂けるようになりました。動画であれば、事前に見ているか否かが分かるし、動画でインプットを提供した場合の研修の反応の方が明らかに高い議論が出来るようになったからです。それから研修終了後の動画の視聴も一定数あるため復習等を行っている方も存在も確認できました。
実際、文字を読める人は少ないのでしょうね。一方で動画であれば1.5倍から2倍程度で見ることが可能ですし、当日の午前中に午後の研修の内容を確認できるなど、実は便利だったりします。
おそらく、この流れが当たり前になるのではと勝手に考えています。となると、他社から動画を仕入れて研修を提供する予定の企業や講師にとっては、動画の作成や仕入れはコスト高になると推測できます。そのためひょっとしてPPTを作る程度の感覚で動画を整理できる能力を磨いておくことが必須になるかもしれません。実際は、どうか知りませんが。。
後、階層教育は基本、全て動画になるのでは?とも思います。動画を見て、レポートを提出という流れにシフトする。集まって議論するという体験や提供は企業側にとってコストになりますし、それ以上にリスクを伴います。講師も同じ内容を正確にリピートする必要が無くなって楽になるのです。一方で、選抜トレーニングやマネジメントのトレーニングはもっと密にコストをかけて行うようになるでしょう。また、選抜トレーニングでは、どうしても知識レベルのバラつきがあったためにインプットをしなければならなかったのですが、今後は不足する参加者は事前に動画で補足を理解してもらいながら、研修に臨んで頂けるので能力に応じたトレーニングがカスタマイズできるなど非常に便利になるし、参加者も楽になるでしょうね。
ハイブリット研修の概要は動画にリンクを張っています。超マニアックな内容です。
(ハイブリット研修 概要編)
(ハイブリット研修 活用編)
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