早嶋です。今回は、福岡から唐津、伊万里、有田、佐世保と視察を済ませ、外海方面に長崎に。途中の寄り道を表現しました。
唐津、伊万里を抜け、峠道を越えていく。眼下に広がる棚田は、まだ水を張る前の硬い黒い土だった。いまは旧暦でいう「穀雨」の頃。春の雨が田畑を潤し、種まきや田植えの支度を促す季節だ。これから田んぼに水が満ち、初夏へ向かう支度が静かに始まる。
この日は、ある商業施設の視察を兼ねた道中だった。日常の延長にありながら、国道沿いや住宅街など、人の暮らしに欠かせない場所だ。そんな現場をいくつか見て回る合間に、思うがままに車を止めた。
佐世保へ向かい、石岳に登る。九十九島の眺めは、春霞にやわらかく包まれていた。晴れ渡った輪郭もいいが、ぼんやりと滲む島影もまた、静かに心に染みてくる。旧暦の季語でいえば、「霞深し」とでも言いたくなる光景だった。
西海橋を渡り、外海へ。海は、穏やかだった。遠藤周作が「沈黙」で描いた、あの舞台。波も音も最小限にとどまり、ただ黙ってそこにある。そんな海だ。遠藤周作記念館にも足を運んだ。館内はさらりと見て回り、海を眺めながら著書に触れられる空間に腰を下ろす。窓の外に浮かぶのは、大角力(おおずもう)、小角力(こずもう)と呼ばれる島々。潮の香りと静かな光のなかで、言葉にならない時間がゆっくりと流れていた。
その夜は実家に泊まる。両親の顔を見て、いつものように庭に出る。これからぐんぐん伸びる草木を、少しだけ剪定する。無心でハサミを入れるうちに、心も静まっていく。西に沈む夕陽が、じんわりと肌を焼き付ける。夕暮れの光も、旧暦でいえば「春の名残」。一日一日が、確かに、夏へと歩みを進めている。
田んぼには、間もなく水が張られるだろう。棚田も、九十九島も、外海も。春から初夏への歩みを、静かに、しかし確かに進めている。