早嶋です。
事業を通じて、社会を良くする、会社を良くする、周囲を良くする。自分を正す。多くの人が事業を継続する理由に利他がある。そして結果、それは己のためだと気がつく。このような考えは、著書の中にも、人の話にも出てくる。しかし実際やってみて、色々と経験を通して気がつくこともある。しかしながら、事業に没頭している人は、きっと誰のためにやっているという意識すらなく、ひたむきに考え実行し検証しまた試す。この繰り返しが心地よく取組んでいるに違いない。
継続的に事業を成し遂げていると、他者から秘訣やノウハウを聞かれることがある。あれこれ言語化し、若干脚色を加え、当たり前のことを、最もらしく話をす。実際は、考えながら行動し、その繰り返し。継続する中で何かが見えてきて、それを確かめる。当たるときもあれば、当たらないときもある。事業は相手あっての商売なので、相手が嫌な気持ちにならないように工夫して行う。もちろん、ここにビジネスモデルや最新の技術を組み入れるが、初めの一歩を継続する勇気と、従来の行動を変化させるマインドがなければ事業を継続することは難しい。
論理思考には、帰納法と演繹法がある。ルールや観察事項、あるいは一般論をベースに、そこに関連する情報を紐付けて結論を出す思考方法が演繹法だ。そのルールや観察事項を完全に二次情報に頼る人の話は常に胡散臭く感じ、発言がペラペラ薄い。しかしながら同じ演繹法でも、ルールや観察事項そのものを自分の行動や経験、失敗や成功から導き出し、帰納的な考えから共通点を活用している場合、なぜだか信憑性が高く感じる。
昨今急激にWeb情報を集約して一つの考えを整理してわかりやすい言語で提供するサービスが充実し始めた。しかし、Web上のデータベースそのものがコピペで増殖された情報で、誰かが誰かの2次情報をそれとなく書き換えているに過ぎない。1次情報から導き出された考えや文章は案外と少なく、あったとしてもその情報の多くが英語で、日本語での情報は悲しいほど乏しい。AIが導き出す考えや文章は僕らが綴るそれの100倍以上読みやすくきれいだ。でもしっくりこない。所詮二次情報の塊を整理したまでだからだ。
英語と日本語などの言語の問題であれば、訳の話になるが、訳者によっても日本語の厚みが変わる。内容を理解した人が訳す場合と、単に約する場合の違いだ。つまり、もうしばらくは原体験に価値があり、それらを正しく人に伝えるための言語化ができる人は一定の価値を生み続けると思う。ただ、5年か10年も経てば、そのような情報をテキストに加えて、音声や動画、ときには画像でも一定の入力情報としてデータベースに追加され続ける日がやってくると思う。もしかして、人間の脳そのものがAIに繋がり、その原体験が何らかの方法でマシンに同期される日がやってくるかもしれない。その時は、1次と2次の違いな無くなるかもしれない。というか本当に人類皆兄弟で同じ脳みその基に行動するようになるのだ。
現在、ハードはコピペが可能だが、その雰囲気はコピペが難しい。微妙に何か違うからだ。おそらく、それはその対象を見た本人が感じる感情的な違和感であり、その何かがアップグレードされたらハードに対しての良からぬ評価はなくなり全て統一化される。その時は、器と魂が同居した状態になるだろう。
今は「誰が言ったか?」のキャラクターがとても重要で、同じアドバイスもキャラクターが異なれば、聞く人も変わってくる。AIが人間と親しい関係になり、違いがわからなくなれば、最後は何を言ったがが重要になるのだろうか。否。その世界は、完全にコピペが可能で、3Dプリンターのような機械が大量に同じようなものを作りだす。そこに宿る魂も同じようなものになる。世界が完全に同質化して、全ての情報が完全に民主化されるのだ。
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