早嶋です。
日本は明治から欧米に対して追いつけ追い越せで、明確に目指す対象がありました。国民の特性か、答えがあるもの、形が見えるものに対して習得することに長けています。しかし、正解が見えなくなり創り出すことが求められる昨今、急に力を落とし始めています。
企業は未だに新入社員を一括で採用して、新人教育、そして配置と昔ながらの励行を繰り返します。戦略のギャップを埋めるために、イノベーションや過去はマーケティングと言っておきながらも採用戦略は普遍でした。100人の新人を採用し続けるというのは、戦略ギャップは埋めれません。例えば必要とされるIoTやAIのスキルを持つ人材にフォーカスして100人分の採用コストと人件費を10人の人材に集中しても、このような人材は10倍以上どころか100倍、1000倍の効果を企業に与える可能性があります。
言いたいことは、なぜ昔の通り、かわらず新人を採用し、一方で20年から25年も一緒に仕事をした同士や仲間を早期退職として切るのかが、合理的ではないと思うのです。一切企業の戦略を埋めるような人事戦略が取られていないと思います。理由も推測できます。過去の考え方、労働組合の反対、変えることができない仕組み、戦略と切り離された人事部のKPIがずれているのでしょう。そのためトップが口述する内容と現場の行動が一致しません。
世の中がこれだけ目まぐるしく動き変化していても、一度大企業に入った人材は、過去の学歴と数年間程度学習した僅かな知識を小出しにして変化しません。継続的に社会に変革を興すような学びと実践を行うということが極端に少ないのです。業界は確実に変わります。ハードの電子化は、AIとIoTとクラウドと通信などのテクノロジーの融合になって自動化が標準になります。これまで当たり前のように人を介していた仕事が一新され業界構造が全く違う形になるでしょう。
そして追い打ちをかけるように我々の先は100年時代。60とか65で定年を迎えて80頃までと考えていた人生設計が崩れ、80からの20年をどうするのか。多くの人々が不安を抱え、蓄えている消費を更に冷え込ませる結果になっています。信長の頃は人生50年で捉えていましたが、その2倍。個人資産がどんどん膨れていく理由も、実際は不安で不安でしょうがなく消費をすることが怖いのだと思います。
このままのテクノロジーの深化を鑑みると2040年±5年前後でシンギュラリティがやってくるかもしれません。コンピューター>人間の時代です。仮に来なくても、多くの人間が行っていた仕事がコンピューターに代替されて、人は圧倒的な自由を手に入れる一方、圧倒的に暇な時間がありあまります。
2020年に生まれた人が今の延長の教育を受けて二十歳になった頃、昔の発想で仕事をしようとしても、そもそも人間が行う仕事は全てなくなっているかもしれません。国語算数理科社会ではないですが、昔と変わらない方針とカリキュラムで詰め込んで答えありきの学問に時間を費やすことに価値があるのでしょうか。
それよりも、コンピュータが比較的苦手な、先を創ること、考え出すこと、生み出すことにフォーカスしたトレーニングがもっともっと大切になると思います。これらは単に考え方といいましょうか。自分で考えて、自分で行動して、自分で楽しむ。人から与えられて、命令されて動くのではなく、自分が中心となってインプットとアウトプットを繰り返す。そんな教育が社会全体に求められるはずなのに、周りを見ても何の備えもない。
うーん、驚異的な未来がやってくるのは間違いないと考えてしまいます。