早嶋です。
9月27日から29日間、実質1.5日で深センのエリアを弾丸で回って来ました。超長文ですが、事前に調べた情報と現地で感じた感想をまとめています。
◾深セン
IoTやAI、クラウド技術を駆使して、世界各国ではテクノロジーがもたらす変革に伴って、世界的なイノベーションが都市間によって温度差が異なっている。特に中国の深センはそのスピードと規模感から言えば、日本のはるか先を行き、今ではハードウェアのシリコンバレーとして発展を続けている。
1978年に鄧小平による改革開放政策が開始され、深センは30年を経て受託生産拠点から創新都市へと変貌を遂げている。深センにはハードウェアのシリコンバレーとして発展するエコシステムが存在する。元々はひなびた漁村で、今は技術により完全にリープ・フロッグして世界の最先端をいく。
高速道路、高速鉄道、地下鉄網が整備され、珠光デルタでは深センに加え、香港、マカオの一体化が進む。世界の潮流から取り残される日本は、危機感を持ち独自の経済政策や街づくりを進める必要があるとおもいつつ、今回の視察のスタートを切った。
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◾深センと他の主要都市(中国)
2017年中国ユニコーン企業発展報告・中関村のユニコーン企業発展報告書によると、中国全土で164社が排出されている。各エリアは以下の通りです。
北京は70社
上海は36社
杭州は17社
深センは14社
以下、2016年時点での4としの比較だ。まず人口。
北京は2,173万人
上海2,420万人
杭州919万人
深セン1,191万人。
ただ2018年度で既に1500万人以上の報告がある。一人あたりのGDPを見ると、
北京18,119ドル
上海17,899ドル
杭州19,127ドル
深セン26,377ドル
とぶっちぎりだ。ちなみに、
マカオが約7万ドル
香港が43,000ドル
台湾が22,500ドル
です。
近年の主な企業として、北京は百度、小米、ディディ。上海はモバイク。杭州はアリババ、アントフィナンシャル。深センはファーウェイ、テンセント、中国平安保険、DJIがある。北京は流石に中国ユニコーン企業の4割でほぼ中関村に集中、政府機関や最高峰の大学機関、そして研究機関の他、VCが集まっている。上海はユニコーンは特定分野に集中せずに、バランスが取れたポートフォリオとなっている。杭州は決済サービスのアリペイを展開するアントフィナンシャルを頭としてフィンテック系が多い。そして深セン。北京や上海と比較してユニコーンは少ないものの、海外市場を目指す製造業のスタートアップを育むエコシステムが形成されている。
◾30年で変貌を遂げる深セン
1978年に鄧小平による改革開放政策が開始される。中国の地方政府の主導で国営企業や郷鎮企業が全国に多数設立される。深センは経済特区に指定され、香港を中心とする外資電子企業が次々に進出する。
80年代末頃より民間企業が中国にも登場する。ファーウェイ、BYDなどだ。国内では国産製品の優遇政策の下、ローカルメーカーの製品が普及し始める。深センは低廉で豊富な労働力を背景として、電子産業のサプライチェーンが集積して世界の一大拠点になる。
2001年に中国はWTOに加盟。2000年半ば頃から賃金が上昇し始め、リーマンショック後の巨額の財政出動によって旧来の成長パターンが温存される。その頃深センはITバブルの崩壊でファーウェイが経営難に。当時創業間もないテンセントにファーウェイからマネジメント層とエンジニアが移出して、これが猛烈な成長を支える。
2010年以降政府は研究開発とイノベーションを奨励し、国内企業は巨額のクロスボーダーM&Aで海外進出を本格化する。沿岸部都市を中心に賃金高騰が顕著になる。深センは中国のシリコンバレーと呼ばれ始める。DJIなど、80後(バーリンホウ・1980年代生まれの世代)と理系の経営者が登場する。
◾深センの概要
地域は広東省深セン市。南は香港、北は広東省東完市に接する。亜熱帯海洋性気候で年間の平均気温は24度程度。今回訪問した9月は28度前後の気温だった。
1,996km2のエリアはほぼ東京(2,194km2)と同じ面積。そのエリアに1500万人以上の人口(東京は1,374万人/2017年)がいて、およそ7割が20から35歳。1980年の人口はなんと33万人。1999年に600万人を超え、2010年ころに1,000万人を超える。30年の間に数十万の漁村が1,000万都市に成長しているのだ。
深センは今や世界の工場からハードウェアのシリコンバレーと称されるように、世界のハード的なイノベーションを確実に牽引している場所になっている。基本的な貿易の状況は、半導体を輸入して、電機機器や部品、通信機器に加工して輸出するモデルだ。2017年の深セン政府の統計によれば、主要生産量としてノートPC728万台、デジカメ219万台、携帯3.9億台、電子部品1,251億個と飛び抜けていることが分かる。
2,000年に深センは世界で11位のコンテナ取扱量になり、2010年に世界4位、そして2016年には、上海、シンガポールについて世界3位のコンテナ取扱量にまで成長している。
2017年の深セン証券取引所はIPO件数が世界トップの222件。上海が同年で214件、香港が150件、日本が86件を見るとその勢いがわかる。今では多くの中国スタートアップ企業が深セン上場を目指しているという。
◾深セン視察(2018年9月27日から29日)
まさに深センはテクノロジーやビジネス、そして様々な文化の発信の地としても注目されているエリアだ。そして経済的にも重要なエリアで今では中国自治区の中で一人あたりのGDPがトップの深センを弾丸で視察した。
◾空港から深センへ
初日、深セン入りしたのは19時過ぎ。上海から乗り継いで空港から地下鉄に乗る。現地の人は地下鉄もすべてQR決済が主流で、外地の人は深セン通と呼ばれるICカードを購入するか現金で都度トークンを買うかだ。今回は滞在実質1日半あるので100元(1元:17円)のカードを購入。こちらは自動販売機に100元札を入れると購入できる。ただ、自動販売機の英語表示はなく、感覚に従っての購入になった。100元の内、50元がカードのデポジットで50元がチャージ金額だ(後にチャージをするが、QR決済でのチャージ機能しかなく、駅員になんどか訪ねてようやく50元をチャージしてくれた。)。
空港から宿泊するエリア老街まで8元。途中乗り継いで40分程度の距離だ。日本でDLしてきた地下鉄の地図には、空港に直結している11号線の情報がなかったが、こちらを使うと深センの中心地まで比較的早く行ける。そこから福田という駅で3号線に乗り換える。到着した日は木曜日。地下鉄に乗っている人たちは、会社や学校が終わって遊びに出かけているのだろうか。少し幼く、皆一様に若い感じを受けた。まぁ、事前インプットで深センの人は若いという先入観もあっただろう。
◾白石州
20時頃、ホテルでチェックインを済ませ、白石州に向かう。こちらは南山区に位置するが、都市開発がまだ進んでいなくて、ポッカリと残された一角だ。駅を中心に路地の隅々まで昔ながらの店舗があり牡蠣、串焼き、果物の切り売り、火鍋、白酒の量り売りと様々な食物を供給する。そんなエリアで白石州駅から10分位歩いたところにローカルのクラフトビアを提供する店舗が何故か2店連なっており、欧米系の外国人で溢れていた。
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◾南山(学府路)
2日目。朝7時30分にホテルを出て、メインディッシュのスタートアップエリアである南山区エリアに向かう。元々深センは香港との国境に面する東側のエリア、華強北、羅湖、福田などが栄えていた。近年は西側の南山、宝安が急ピッチで開発が進み、南山でテクノロジーが生まれ、宝安でその実装や部品化の製造が行われている。現地でスタートアップを行っている人に言わせると深センの実に6割の特許がここ南山区で生まれているという。
地下鉄の科園を出て学府路を大学が集まるエリアに5分ほど歩くと、ハイテクパークが現れる。途中も若き起業家か、明日のジャックマーを夢見る若者が足早に通勤しており、近くの屋台で朝食を買っている。支払いはもちろんQRコードだ。深セン一体の経済的なエコシステムはほぼQRコードで、屋台やシェアリングサービスや自動販売機など、これまで現金決済だった仕組みは殆どがQR決済に置き換わっている。
わずか1㌔四方も無いこのエリアに、ベンチャーキャピタルや法務を提供するサービス機関、いたる所にあるインキュベート施設が各々にスタートアップを行い新たなイノベーションの確立を急いでいる。今回、朝8時過ぎにこのエリアについたが彼らの朝は遅く、人影はまだまだまばらだった。それでも9時前には、大勢の人が行き交うにぎやかな一体となる。
面白いなと思ったのが、レストランの一角には結構な数、朝食を提供している店があった。ひょっとして、その時間帯だけ場をかりているのだろうか。軒先どっとこむのイメージで行列ができていた。明らかに店舗と屋台の提供するメニューが違っていたからだ。試しに並んで買ってみた。汁なし担々麺のようなカップに入った麺が6元。スパイスが効いて美味しかった。当然にQRコード決済が主流で現金で払うと、お釣りに戸惑った様子だった。
複数のスタートアップを支援するビルに入った。朝9時前後だったせいか、出社した社員、もしくは社長は共有スペースで先程買ったであろう屋台の朝食を食べて仕事の準備をしていた。雰囲気は、よくあるインキュベーション施設と同じで、過去の成功者の写真が廊下やいたる所に貼られていて、現役起業家を煽っている。ところどころ、共産党のスローガンがあるのは中国らしい。「共産等と一緒に起業しよう!(follow our party, start your business!)」という内容だ。
このエリア、すごいスピードで拡大しているようだ。ぱっとみるだけでも複数のビルが建設中で、どれも規模が大きいこと。周りには深セン大学を代表する沢山の大学があることも、このエリアの人材供給に役立っているのだろう。
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◾深センのエコシステム
深センは起業をするための素晴らしいエコシステムが確立されている。長年培った電子産業を基礎に、起業家を輩出する仕組みが形成されている。まず資金提供は、先行企業だ。ファーウェイ、ZTE、テンセント、BYD、鴻海などだ。当然、投資家も政府系、民間系、欧米系が集積している。特に米国系のVCであるセコイア、アクセルパートナーズ、IDG等は積極的だ。
電子部品のサプライチェーンは部品やモジュール、完成品などが揃っている。部品やモジュールは近隣にサプライヤーが集積しており、部品市場を形成している。また、電子製品のコピー業者も山のようにあり、いつしか技術力を付けて完成度の高い独自の完成品を届けるまでになっている。かつて電気製品の加工拠点として栄えた歴史がベースになっている。
起業家を支援する機関も充実している。米系のHAX、SegMaker、Seeed、SZOIL、深セン精華大学研究所などだ。そして注目は政府。お金を出して口を出さないのだ。政府支援のメーカースペースも250箇所から300箇所ほど学府路にあり、メーカー関連のイベントや大会が随時行われている。更に今後5年間で3万人の起業家を目標に補助金の支給も予算加されているそうだ。
今では、イノベーションの拠点、そして研究開発都市へと変貌しつつある。2015年の中国の都市別国際特許取得のシェアは深センがおよそ半数、北京が16%、上海が4%なのでその凄さがわかる。全体の特許がこの歳が28,000あまりなので14,000件もの国際特許が1年間で取得されるエリアなのだ。
この動きは世界の大企業も無視しない。深センに研究開発拠点を置く企業は、アップル、マイクロソフト、クアルコム、エアバス、ノキア、シャープ等々だ。
◾深セン市政府のベンチャー支援
深センは起業家人材や高度人材を呼び込むための各種施策を多数行っている。そもそも、中国の留学生は2016年で54万人。日本が9.6万人なのでその規模の違いに驚く。そして留学生が2016年には43万人も戻っている。毎年40万人規模の留学生が帰国して国のために仕事をし続けることが今後も予測できるのだ。母数が多いこともあるが、やはりこの数はすごい。
深センはベンチャー支援に向けて人材誘致や育成政策を様々に行っている。JETROの資料を見ると、高度人材育成誘致として今後5年間、ノーベル賞受賞者、国家再考科学技術賞受賞者等の高度人材15名を誘致。1人に100万元の研究人600万元の奨励補助を出す。
ITや金融、そして科学特定分野の技術人材では、ニーズが高く不足がちなIT、金融、科学技術分野の人材を一声100名規模で拡大していき、教育や医療分野の人材も積極的に誘致している。
グローバル人材誘致として海外留学生の帰国人材に目を向けて深センで操業を支援している。30万から100万元の操業奨励金がある。
メーカー教育として、小中学校にメイカー向けスペースを設置している。全小・中学校でメイカー教育科目を開設している。また、職能機能教育にも注力している。技術人材育成に必要な専門学校を設立支援し、今後5年間に毎年200万人規模の人材創出を目標に掲げている。そして今後5年間に1万件以上の人材向けマンションを建設して、海外帰国人材や高度技術人材に提供する。大学修士や博士学歴人材には生活補助金も奨励している。
深センの驚くべき経済成長の中、驚異的に人口が若いことから医療や福祉のお金が他の自治区と比較して少額でよい。その金額を更に将来の経済発展のため自治体をあげて人とハードに投資をしているのだ。この仕組も圧巻だ。
◾高新園・Xiaomi
9時30分頃、地下鉄で高新園に向かう。目当てはxiaomiの凱旋店。同じ南山区にあるが、こちらは老舗大企業がビル毎オフィスにしているエリアだ。Tencent、Huawei、ZTEなどのメーカー、中国の大企業が本社を置く場所だ。近年その一角に万象天地というショッピングモールがつくられた。ここにはテスラの展示や高級ブランドを扱う店舗がザラリと並んでいる。
Xiaomiの店舗は白、ガラス張りの2階建て。1階はスマフォを中心とした我々が想像する商品がならび、2階は家電やデザインされたグッツが展示されている。日本ではスマフォメーカーのイメージだが、魅力的なハードウェアを提供する企業に積極的に出資しており、総合家電ブランドというのが中国での位置づけのようだ。商品ラインナップからみると、確かに頻繁にハードウェアの企業に資本を入れていることが推察できた。
白ベースのシュッとしたデザインの家具やグッツが沢山あった。デザインは良いが、質感や細かなつくりがまだまだこれからだという感じだが、スマフォからおもちゃ、そして家電までなんでもこいのラインナップは、なんだか勢いを感じた。多くはIoTを駆使して、様々なセンサを活用してデジタル化できる商品が並んでいるのは、テクノロジー大国の先駆けとして雰囲気を十分に感じることができた。
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◾深センのヤングファッション
これは推測だ。深センの20代のヤングのファッションに対してだ。ものすごい数が黒パンツに白シャツをインしている。はじめは制服と思ったが、それぞれ微妙にデザインや形がことなっている。南山エリアの通勤電車の中や学府路でも同様のファッションをする若者が闊歩していた。直接聴くこともできずに勝手に想像してしまった。事実の確認は未。
◾蛇口・海上世界
11時頃、地下鉄に乗って2号線の海上世界駅へ。ここ蛇口エリアは香港空港と直結するフェリーの発着場とありバーや高級レストランなどが並ぶ。町並みは昔の建物をうまくリノベーションし、加えて新しく斬新なデザインのレストランや住宅地が並ぶ。
海上世界の中心には大型客船をまるごとレストランにした建造物を中心に公園やテナントビルが配されている。そこから5分位海沿いに歩いた場所に、共産党の旗を大きく掲げた建物がある。改革開放博物館だ。Design Society Museumの中に入っているため空調がきいた広々とした空間で、深センが栄える前から現味までの歴史を知ることができる。深セン開発が始まった当初から、日本のかつての大企業、三洋電機の名前がちらほら出ていた。
館内の説明によると、深センは鄧小平の改革開放路線にそっと、ゼロベースで生まれた街だ。公務員が当たり前の慈済、就職やビジネスという概念が無い計画経済の共産主義で、当時深センの開発には膨大な失敗の繰り返しが行われたというような説明があった。中国初の銀行、初の近代的なホテルの建設、そして土木工事。深センの活動紹介から博物館の終盤にかけては、一帯一路の思想として引き継がれ、世界中をネットワーク化して繁栄させる考え方を垣間見ることができた。博物館の終盤は習近平との歴史に変わっていく。
Design Society Museumの屋上は開放され、深セン港と遠くに香港がみえる。隣はヒルトンのホテルと眼の前にヨットハーバーが広がり、欧米人が好きそうな町並みができている。周囲にはインターナショナルスクールやハーバービューの高級ヴィラがありテクノロジーを牽引する深センとはまた別の顔を見ることができる場所だった。
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◾中華以外はまだまだ
ランチをDesign Society Museumの1Fで食べた。カフェスタイルで小洒落た空間だ。料金はやや高めでパスタ類が60元から、コーヒーが40元から。毎回頼んで思うのだが、中国で中国意外の食事を頼むと決まって高いわりには美味しくない。今回の施設も同様で、メニューの写真と程遠い料理が出てきた。まぁ、施設の雰囲気を楽しめ、かつのんびりとした空間で食事が取れたので良しとしよう。ちなみに、このカフェの天井は波の音を出す装置があった。金物の網の上に置かれた小豆のような小さな粒を電気じかけで上下させ波の音を演出しているのだ。これは初めて見た、価値がある。
◾深セン湾公園・DJI
13時頃、地下鉄で9号線にある深セン湾公園駅に。目当てはDJIの凱旋店。おばけキノコの鉄のオブジェがにょきにょき立つエリアにDJIの奇抜な店舗が飛び込んでくる。店内にはDJIの商品がすべて揃い、時々顧客がドローンの説明を受けながら目の前でテスト運転をしている。山のようなドローンを見ると、ちょっと一台くらい買ってみようという気分になった。将来的にはアイフォンが勝手に飛んで、自分たちを追跡して動画を取ってくれそうな予感たっぷりの店舗だ。
DJIは2006年に設立された会社でフランク・ワン氏が代表者だ。2017年の売上高は約27億ドルで民間用ドローンを事業としている。現在は世界シェア7割と2位のパロット社をぶっちぎりでリードしている。
スマフォとドローンはGPSや様々なセンサ類とバッテリーでできている。中国は元々スマフォの製造拠点であるため、どの国よりも上記のパーツがすぐにあつまり、組み立てることに優位性があったのだ。更にDJIは空撮技術と価格競争力を身に着けてダントツの企業へと成長して、さらなる飛躍を遂げていく。
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◾OCT
14時頃、OCTというエリアに歩いていく。Oversea Chinese Townの略称で現地語では華僑城と書く。調べて見ると華僑とは何ら関係ない中国の不動産ディベロッパーの華僑城開発集団が開発した町並みのようだ。当時は湿地地帯だったらしく、公園と水路をうまく活用してレストランやショッピングモールを散りばめたリゾート地のような町並みだ。
OCT的な雰囲気という表現があるようだ。中国は年々海外の留学生が増えており、その留学生を政府は優遇しているため、帰国しても政府の要職につくかスタートアップにつくか大企業に入って経済を回している。そして海外のエッセンスを持った帰国市場が地元の雰囲気とミックスしたカルチャーたっぷりの街をどうやらOCT的な雰囲気と表現するようだ。たしかに、そのような表現をされている町並みはなにか独特のセンスと感覚を感じる。
同エリアの中のスーパーマーケットに入る。ローカルの商品よりも輸入品を中心に様々なカテゴリの食品や食材が並んでいた。ちなみに日本製の商品は、感覚的に2倍強の値段がついていた。ここでポンポン買い物をしている。住宅の周りに駐めている車はBMWやアウディに加えて、ベントレーやロールス・ロイス。ほほう、値段がいくらになっても全く関係ないくらいのお金を持っている住民なんだな。と勝手に解釈した。
深セン全体、駅や公園や公共の人が集まる施設には、常に清掃をする人がいて、ゴミや落ち葉までを常に掃除をしている。非常に綺麗で、昔の中国をイメージしていたら大変に申し訳ない。町並みには植栽を増やしており、埃っぽさなど全く無いエリアだ。
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◾華強北電気
16時頃、深センのハード系スタートアップを支えるエリア、華強北電気に向かう。地下鉄は1号線の華強北駅。駅を出ると既にその香りがする。昔の秋葉原はこうだったんだろうと思いながら地上にでると目の前にICチップのような回路のみを扱うビル群が現れる。試しにいくつか適当に入ってみると、どこも同じような部分が並ぶ。正直、ハードの知識が乏しいので、これが何に使われるのかはわからない。が、調べてみると皆その道の専門商社の人たちが、ここに店舗を構えて、ネット上で商品の売買を行っているようだ。従って今は直接買いに行く人というよりは、ネット上で商品の売買を行っている方がメインだという。
広さは秋葉原の30倍位あるエリアにありとあらゆる電子部品が揃っている。建物の正面にはドローンのおもちゃやケータイのアクセサリなどを扱っているお店があるが、店内に入ると1階から上までひたすら何かの部品のクラスタが続く。店内の雰囲気を変えたかったら1ブロック位歩いて違うビルに入らないと中身が変わらないくらい、専門的な店があつまっているのだ。
ちなみに世界最大の電位街のキャッチはシャンツァイ(コピー品の意味)。このエリアには、電子電気関連の店舗が約2万店舗密集している。毎日50万人の人が訪れている。きっかけは80年代。電子工業部、航空局、兵器部などの政府内の部署がここにいくつかの電子電気関連の企業を設立したのがきっかけだ。
こちらのメインストリートは電気部品に興味がなくても歩く価値はあると思う。歩行者天国になった広い道幅の道路が続き、遠くにずっと続く住宅の景色は見ててあきない。また、通りの植栽がユニークで日本にはない感じだ。
スマフォのみを扱う建物もおおかった。中古らしきスマフォがショーケースにずらりと並び店頭のブースではひたすらスマフォの修理をしている人たちがぎっしりだ。中国全土の殆どのひとがスマフォを持ち、QR決済をしていることを考えると、やはりこのような場所で中古やそれっぽいのを安く購入しているのだろう。
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◾羅湖
18時頃、香港の国境に位置するイミグレーションがある羅湖に向かう。ここは深センの入り口として昔から発達しており、香港の影響を強く受けた広東料理の店、茶藝館、マッサージ店、お茶問屋や酒問屋などがビルの下から上まで、そして路地裏までぎっしりとあふれる雰囲気のある場所だった。
中でも今回行った羅湖商業城は刺激的だ。地下から5Fまで昔の街にはいたるところにあっただろう偽物ショップがずらりと並ぶ。2000年代に初めて海外出張した中国蘇州の雰囲気と重なり懐かしささえ感じた。5Fはテキスタイルショップとテーラーの専門店がならびその奥に丹桂軒という名の広東料理の店に入った。広々とした店内は香港から来たか、これから香港に行くかの高齢のマダム客で溢れている。何を頼んでも絶品で香港の半値位で広東料理を堪能できた。
食後、香港と深センのイミグレーションの場所まで歩いていった。羅湖と深センの鉄道の益は隣接しており、イミグレーションも鉄道駅の近くにある。香港ドル、台湾ドル、中国元の両替商がならび、薄暗い照明の中、沢山の人が行き交う。丁度訪問した時期が国慶節が始まる時期で、これから深センの田舎に変える人々で有り得ないくらいの人の山に遭遇した。この雰囲気を国境エリアで見学&体験できてラッキーだった。
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◾水園
20時頃。深センの地下鉄の駅には、香港の国境が羅湖意外にもう一つある。福田口岸だ。まだ動ける時間があるので、再び地下鉄にのって向かった。福田口岸も昔の映画に出てくる香港の怪しい雰囲気があり、ピカピカの南山エリアと非常に対照的な町並みだった。表通りも路地裏も香港の脇役都市だったころの雰囲気がそのまま残り、路地裏には一人鍋の店、理髪店、地元の人がたむろするお店や商店がぎっしりだった。
ちなみに、このエリアにも地元の地ビールを味わえるショップがあったので頑張って歩いていった。ちなみに、中国ではグーグルは全く約に立たないと聞いていたが、水園のエリアを歩いている時にそれを如実に感じた。グーグルの地図では川になっているところに、明らかに車が通っており建物が立っている。ローカルを歩くときは、ローカルの地図に従うのがスマートだ。
ちなみにEvil Duckという地ビールの店では無事クラフトビールにありつけて、丸一日の深セン弾丸ツアーの振り返りができた。
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◾老街
22時過ぎ。ホテルがある老街に戻る。ここは深センの副問屋街で、昔から若者が服を購入しにくる場所だ。駅から東に向かうエリアに繁華街が栄えており、本物か偽物かよくわからない商品まで、通りの隅々までぎっしりと店舗が続いていた。ただ、華強北電気街しかり、すべての始まりは偽物やコピーからだ。こちらの老街でも、コピー品や粗悪な服を安く大量にさばいていた服屋は徐々に力を付け、今ではオリジナルブランドをこしらえて自前のファッションショーまで行っている。ぱくって、ぱくって、オリジナル。では無いが、猛烈に何かを取り組んでいれば、その経験は生かされ、一気に伸びるんだなということを考えながらホテルに戻った。
◾ダーフェン(油画村)
7時。2日目に思いのほか、サクサクと視察ができたので、地下鉄3号線の郊外にあるダーフェンに向かった。この街にある世界最大の複製画を描く絵描きが同エリアに8,000人程度集まっているエリアの雰囲気を見る目的だ。ダーフェン駅につくと、油画村のサインがわかりやすく表示され、その指示に従って10分強あるくとそのエリアに到着した。8時過ぎについたので、まだ開店前の店が多かったが、確かに1km四方のエリアに古い建物が並び、アート満載の雰囲気を全身で感じることができる街だった。
同エリアには美大に相当する学校もあり、多くの絵描きはそこを出て、このエリアに落ち着いているのだろう。一体は10時頃から回転し始めるようだが、この時間にもスマフォ片手に複製画を書いている絵描きがちらほらいた。およそ世界の複製がの7割はこのエリアで生産されており、海外のホテルや人が集まる施設に売られている。いくつかの情報によれば、年間に700億円程度の絵が売買されており、複製が意外にオリジナルの絵を販売している画家も200人から300人はいるという。確かにベンツやBMWなどが綺麗な画廊の前には停まっている。きっと画家のオフィスの前だったに違いない。
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◾宝安エリア
ホテルに戻り、荷物をまとめた後、深セン空港があるエリアで工場地帯に立ち寄った。この宝安エリアは深セン中心部の北西に広がるエリアで隣の自治区を含めた一体でなんと4,000万人を超えるワーカーが働く世界最大の工場地帯になっている。残念ながら地下鉄の最寄り駅からは、その雰囲気は見ることができなかった。
しかし、そこから空港に向かう電車の中から工場地帯が広がる景色を見ることができた。そこには新たな工場団地の建設と高速道路の整備が遠くまで続いており、更に拡大する宝安エリアをちら見することができた。
◾まとめ
実質1日強の弾丸ツアーであったが深センがハードウェアのシリコンバレー、社会実装装置という2つの側面を持っていることを実感することができた。深センには、華強北に代表される電子部品のサプライヤーが集積しており、南山エリアを代表するようなスタートアップが試作品をすぐに作れる環境が整っている。また、政府の支援も相まって、世界からチャイナ・ドリームを夢見る若手起業家が集まるエコシステムが形成されている。香港、マカオの金融が深センのハイテク製造業に投資され同一体エリアの役割が明確になっている。
スマホとシェアサービスの急速な成長を背景に、QR決済に代表されるキャッスレス社会に急速に突入。現金を使うことが悪のように感じられるほど導入が進んでいて、無人店舗や物流サービスにも普及している。行政もこの動きを手動して金を出しても口を出さないというルールで、EVバス、自動運転のバスの実験、スマートシティの実験、メーカースペースの設置など都市自体が大きな実験室の役割を担っている。
日本の経営者としては、このようなエコシステムが国内にできる可能性は無い。としたら、いち早く深センのエコシステムに参加して、自社のハードビジネスの一部に深センのサプライチェーンを取り入れる。深センに研究開発部門を置き、試作は深センで進めることでスピード感を持った事業に展開する可能性がたかまるのではないか。と強く感じた。
参考:
1.マッハ新書 深センの歩き方2018年 個人坂
2.2018年6月向研会 イノベーション都市・中国深センの研究
3.各種Webサイト