早嶋です。
漁師と投資家の話。市場で高値で取引される漁を得意とする漁師は、朝早く起きて漁に行き、昼前に市場で魚を売って家族と食事。その後、昼寝をして近場の海岸でのんびり散歩や魚釣り。毎日そのような生活を繰り返す。そこに投資家が現れ、もっと大量に漁をして儲けようと話を持ちかける。船を大きくして、工場を建て、規模を拡大する。
漁師:「それで儲けてどうする?」
投資家:「儲かったお金で好きなことをすると良いよ。」
漁師:「例えば?」
投資家:「午前中に仕事を済ませ、昼からは好きに過ごす。家族とゆっくりご飯を食べて、お昼寝や大好きな魚釣りをしてのんびり過ごすというのはどうだい?」
漁師:「だったら、今と変わらないよ。」
投資家:「・・・。」
人は欲求を満たすためにせっせと仕事をする側面がある。富や名声を欲し、お金を使って物質的な豊かさを求める。特に世の中が成長ムードの時は、皆がローンを組んで若い時間を家族との豊かな時間ではなく仕事という無機質な時間に費やしていった。仕事をすることで何かが満たされる感覚に陥りただひたすら仕事をして物質的な富の消費を繰り返し行う。
気がついたらローンはなくなっているが、家族と過ごした時間や思い出が少ないことに気が付き、その時間を取り戻そうとする。しかし家族は成長して、それぞれの時間を過ごし、既に家から離れている。さらに、自分も昔のような若さがなく、徐々に衰えを感じるようになる。
これが正しい時間の使い方なのか疑問に思う。
比較的に短い期間で資産を構築して自分の役割を明確にする。様々な課題を解決する立場になっている。自分のペースで仕事をしているが様々な利害関係の方々と日々複雑な意思決定をしなければならない。結果、日常の諸事にまで悩む時間を取られたくない。日常のことをどんどんシンプルに考えていく。自分が身にまとうものは同じスタイルになり、健康に気をつけ暴飲暴食を避ける。できるだけ穏やかな時間を過ごしたく家族に寄り添う。
昔は躍起になって購入していた物質的な富に興味がなくなり、精神的な心の支えや豊かさ、人の思想に興味がシフトする。そして徐々に生き方が研ぎ澄まされていく。そのような状態になると、自分がこれまで手にしてきた欲求や名声や地位がどうでも良くなる。全てがなくなっても構わないという安堵感。逆に、これまで構築してきた全てを失いたくないという恐怖感が消え失せる。
考えてみればそのようなものは単なる自己のプライドに過ぎない。これは煩悩であり、それがなくなった時点で菩薩の境地になるのだろう。ビジョンの実現に向けてひたすらに走った後にも悟りの境地があるのかもしれない。