継続的に積み重ねた成果。ぼた餅的にふってきた成果。どちらも成果だが、その体験を次につなげる、活用するにはベースが必要。基本的なこと、考え方、チーム、経験、人徳。全ては時間をかけてつくるもの、いきなりできない。日常的に取り組むからこそ、いつも本気で行うからこそ、身につき、絆が深まり、応用できるようになる。
一所懸命に努力したが、失敗したことが次に活かせることも多い。その時は、どうにも出来ない気持ちになる。が、乗り切れば学びが多いことに気がつく。仲間は、常に見てくれている。成功も失敗も。失敗した時も成功した時も同じように接してくれる。一人の人間より、仲間がいる人間はつよい。
要領だけで、器用に、苦労をしないように見える人もいる。が、人は他人に見えない部分と見せない部分を持っている。特に見せない部分は、語ること無く、出すことなく、淡々と行う。おそらく自分がそのように行っていることにも気がついていないと思う。そして、常に自分には嘘をつかないように、偽らないように思っている。
かっこよさだけあればよい。努力をしなくても、何となく成果があがる。昔はそんな自分がいた。それでよいと思っていた時期があった。が、早い時期に間違いだと気がついた。教えてもらった。沢山の失敗もあったが、そのことを素直に伝えてくれる仲間がいた。当時は表面的にしか理解出来ていなかったかもしれない。その時の態度も失礼だったに違いない。でも感謝の気持ちはあった。時間が経ってそのことを直接言葉で伝えた。いがいにもその人は覚えていないと言う。それも優しさだったと思う。
身の丈にあった成果と合わない成果がある。身の丈に合わない成果を早い時期で得てしまうと、今後の可能性を全て台無しにするかもしれない。人は基本的に苦労をしたくないもの。大きな餅が突然降ってきたら、びっくりする。そして、これまでの苦労を正当化して、もう十分だと言う気持ちになる。成長がとまる瞬間。日々の努力のもと成功している人ほど決まっていう言葉がある。まだまだと。
身の丈を超えた餅は、もうこれ以上の成果は出来ないのではないかと保守的な自分を作る。だから大きさに関係なく、過去の継続は続けるべきだと思う。自分は自分。成果に関係なく、徐々に高めていく気持ちが欲しい。ありのままで、これまで通り、変わりなく。
そんな成果を出し続けたい。