遊びの感覚で仕事ができるヒトは高い付加価値を生み出す可能性が高い。世の中にはライフワークとライスワークがあり、前者は遊びが仕事で、後者は生活のために仕事をする。
この定義の出所はさておき、遊びで取り組んだアウトプットは非常に高い。ここで言う遊びは、ふざけている言葉ではなく、その行動に心底熱中している状態が永続している状況です。本人に取っては遊びなので、様々な無駄なアイデアが生まれて、絶対に誰もしないようなことに真剣に取り組む。結果、だれもが考えつかないようなアウトプットが出来る。誰でも考えつくけど、だれも実行しないことに取り組む。その行動自体が遊びだから永続的に活動が続く。常にアウトプットが改善される。
感覚が遊びであるが故にできること。
近年、ライフワークの一環として伝統工芸の技や老舗の看板を受け継ぐ経営者とその伝承の仕方を考えるワークショップを継続している。伝統工芸を世の中に残す!とか、地域の活性化をはかり、地元に賑わいを取り戻す!とかいうミッションは確かにある。しかし、そこに集まる人たちは、そのこと自体を楽しんで行っているようだ。従って知恵が出る。そして、やってみる。ライスワークではないから、ある意味無駄だらけ。
でも、伝統や老舗から無駄を取ったら何が残る?と良いながら、ヒトから見たらしょうもないという細部まで拘ってみる。皆が持っている知恵を一つのアウトプットに集結したら何ができる?伝統の世界から伝統の領域を互いに行き来したら何ができる?そう、結果、素晴らしいアウトプットの連続。
はじめからコストリーダーシップで考える訳でもなく、差別化戦略を取る訳でもない。そもそも市場がニッチで、そのヒトたち以外にその技をもつヒトがいない。つまり、競争の概念がない。勝手に工場で生産される大量生産の粗悪品を敵にするから競争相手がいるだけで、そのようなモノを購入する消費者をはじめから相手にしたい。そう、究極のニッチ戦略。だから徹底的に拘り、徹底的に遊ぶ。世の中の万人の声には耳を傾けず、分かってくれるヒトが1人でもいれば大丈夫。そんな世界のアウトプット。
伝統や老舗の歴史はお金では買えない。本物が好きな人は回帰する。粗悪品や工業品は時間が経てば陳腐かするけれど、本物は時間の経過とともに熟成する。そこに価値がある。