Googleの登場によって、分からない事はすぐに、その場で調べることが容易になりました。昔は分厚い辞書で調べるのが精一杯、しかも辞書に載っている情報は限られています。そこで断片的な情報をベースにあれこれと考えたものです。更に、それでも分からない時は図書館に行く。たまたま知っている専門家が近くにいれば直接聞く事も出来ますが、これは稀なことでした。
Before Googleを考えると、知識を知っている、モノゴトを記憶していることはすごい価値だったと思います。知らなければ調べることに時間がかかっていたからです。しかし、今は比較的に容易に調べることができるようになったので、モノゴトを記憶しておくこと事態の価値は少なくなっています。一方で、考えるという行動はどうでしょうか?同じモノゴトでも考えながら行うヒトとそうで無いヒトは結果のスピードや質が全くことなると思います。
近年、会社に入社した若手層や大学生と話をしていて疑問に思う事があります。調べることは得意だけど考えないということです。結構恐怖です。極端な話、大学生の頃から論文もコピペ。ググって調べてカット&ペースト。入社して、しばらくは会議に出る度に調べ物をして、上司や先輩の言う事をドキュメントにまとめる。調べる能力はみにつくが自分で考えない生活が基本になる。
そのうち、調べることと考えることが混同され、調べるけれども自分で考えないようになる。会社人生の始めの頃に考える習慣がなくなるので、中堅社員になった頃には考えるモードがまるっきりゼロになる。そのため組織の上の役割として指示する立場になっても何して良いのか分からない。
何がこうしたのですかね?世の中、答えなんてあり得ない。今を基軸に将来のことを考えるのだから、答えは将来にある。だとすると、調べた所でそれは過去の事。将来のことは実際行って検証するか、自分のあたまからひねり出すか。
考えることと調べること。大きな違いですね。