海外から日本を見る。日本にいると世の中の変化がどのようになっているのかが見えにくい。しかし、一歩外に出て世界から日本を考えて見れば一目瞭然。低迷している。世界からは相手にされていないようだ。
アムステルダムの家電屋さんに行く。テレビで一番高いブランドはフィリップス。その次がサムスン。そしてパナソニックと続く。ソニーは一番安いブランドとして売られている。家電で誇っていた時期が嘘のように感じられる。価格が安くて性能が良い商品という特別な見方もできるが。
ベネルクスでニュースを見る。ヨーロッパ以外の国で良く話題にされる国はインドと中国。ロシアや韓国はたまに話題にのぼるが日本は出てこない。出るとしたら日経平均のTOPIX情報のみ。1日中つけていても日本のニュースはほとんど耳にしない。
街を歩いて見る。日本人の姿は我々以外にいない。いたとしても中国くらい。昔は、農協やら何やらの日本人観光客がいただろうに。いまではその姿を目にする事はない。
ユーロ圏の会社に就職すると、会社の規定でその国で話されている言葉意外に別の言葉を習得しなければならない。そんな会社が多いと聞く。その言語の選択肢に中国語はあっても日本語は存在しない。
街中のコインロッカーや観光案内。フランス語、ドイツ語、オランダ語が主で英語はあったりなかったり。若い世代の人は自分の国の言葉に加えて英語は殆ど問題ない。たまに案内の表記に中国語はあるがやはり日本語を見ることはまずない。
日本にいると感じることはないが、日本は世界から相手にされない国になりつつある気配を感じる。既に昔の国、そんな感じだ。
日本人はかつて世界中のブランド品を輸入しては2倍から3倍の値段をつけて国内で販売していた。アービトラージの典型的なモデルだった。しかし情報格差が無くなり、多くの人が海外に行けるようになると、直接行って買ったほうが得であることに気づく人が多く出てきた。またはインターネットを使ってお買い物ができるようになった。それでも言語の壁があって、海外でお買い物をできない人、英語や海外の言葉が使えない人たちは、高いお金を旅行会社に払ってお買い物をしてきた。今は、海外に行く人も減り、国内で高いブランド品を購入できる人も減っている。経済の力が落ちて、個人が使えるお金が減っているからだ。
数年前までデジタル・デバイドという言葉がはやった。情報化時代が到来して、世界中の情報を自由に扱えるようになった。ITを使える人と使えない人では全てに格差が起こるという概念だ。
今後は、モビリティー・デバイドという言葉がはやるだろう。この概念は、日本とか海外という概念ではなく、世界が一つという概念がすぐに当たり前になるのだ。つまり、仕事もどこでもできる人間は今後、活躍することができるだろうが、その地域でしか、その文化圏でしかできない仕事は将来的に不安定になり、やはり格差の対象になるという概念だ。
モノの価格も一物一価になるだろ。世界がフラットになれば、これまでさや取りで利益を得ていたアービトラージャーが駆逐され、値段が均一になるだろう。この概念はモノの価格だけではなく、労働力にも影響を及ぼすだろう。
最低賃金という価格は世界で見ると破格なくらい高い。同じ仕事をするのであれば、海外の手で行った方がはるかに安い。かといって、仕事の成果は変わらない。となれば、賃金はどのようになるのか?誰が考えても分かる話だ。一方で、知識を使ったり、なかなか他の人が出来ないような仕事だったとしても日本ではそこまで大きな賃金格差が生じてこなかった。しかし世界が一つになれば、そのような人を求める企業の数が増える。そうなると需要と供給のバランスから、これまで以上に高い賃金を得れえる可能性が出てくるのだ。世界中のどこでも生活が出来て仕事が出来る。それが今後求められる資質かもしれない。