早嶋です。
昨日に引き続き、プロフェッショナルの条件、Part2の働くことの意味が変わった、についてです。
2章:なぜ成果が上がらないのか
『頭のよい者が、しばしば、あきれるほど成果を上げられな。彼らは、知的な能力がそのまま成果に結びつくわけではないことを知らない』
『知的労働者が何を考えているかは確かめようがない。だが考えることこそ、知的労働者に固有の仕事である。考えることが、なすべき仕事の始まりである。』
『知的労働者は、それ自体独立して役に立つものを生み出さない。知的労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。いかに膨大な知識があっても、それだけでは意味がない。従って知識労働者には、肉体労働者に必要のないものが必要となる。すなわち、自らの成果を他の人間に供給するということである。』
冒頭の頭のよい者が、・・・。と成果を上げられない理由が、少しだけ紐解かれています。知的労働者は、排水溝や靴や機会の部品など物的な生産物を生み出すわけではありません。知的労働者がアウトプットする知識、アイデア、情報は靴のように、生産物自らの効用をあてにすることができないからです。
そして、もうひとつ、ドラッカーは組織の話を持ち出します。
『今日の組織では、自らの知識あるいは地位の故、組織の活動や実質的な貢献をなすべき知的労働者はみなエグゼクティブである。』
『知的労働者は、量によって規定されるものではない。コストによって規定されるものでもない。成果によって規定されるものである。』
『今日、企業、政府機関、研究所、病院のうちもっとも平凡な組織にする、重要かつ決定的な意思決定を行っている人たちがいかに多くいるかということについては、ほとんど認識されていない。』
ドラッカーは成果を上げられない理由に、知的労働者自身のことをうたっていますが、同時に組織という枠の中で働いていることについても指摘しています。『組織に働く者の置かれている状況は、成果を上げることを要求されながら、成果をあげることが極めて困難になっている』と。それが組織に属することによって阻む4つの現実です。この『4つの現実のいずれもが、仕事の成果を上げ、業績をあげることを妨げようと圧力を加えてくる』と。
1)時間はすべて他人に取られる。
2)自ら現実の状況を変えるための行動をとらない限り、日常業務に追われ続ける。
3)組織で働いているという現実がある。
4)組織の内なる世界にいるという現実がある。
ここで、ドラッカーが繰り返し唱えている、『組織の中に成果は存在しない』を思い出します。すべての成果は外の世界にある。客が製品やサービスを購入し、気魚うの努力とコストを収入に変えてくれるからこそ、組織としての成果があるのです。
『組織の中に生ずるものは、努力とコストだけである。あたかもプロフィットセンターがあるかのごとくいうが、単なる修辞にすぎない。内部にはコストセンターがあるだけである。』
ドラッカーはさらに組織の存在意義について議論を深めます。
『外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由を明らかにして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。組織は存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。』
成果が上がらない、理由。内部の政治に力を入れて、収益の源泉であるはずの外の世界への関心が薄れていくのです。
組織の問題をとらえた上で成果を大幅に改善する方法は、『成果をあげるための能力を向上させること』と言っています。際立ってすぐれた能力の持ち主を雇うことができても、同時に組織や力関係を熟知し、計数に明るく、芸術的な洞察力や創造的な想像力をそびえている人はまれでしょう。であれば、組織において、組織の成果につながる能力を向上させることが重要なことは理解できます。つまり、『1つの重要な分野で強みをもつ人が、その強みをもとに仕事を行えるように、組織を作ることを学ばなければならない。』これが組織を統括する人が考えるべきことなのです。
成果を上げるための能力。これを向上させるためには、どの能力は何かを明らかにする必要があります。「その能力は何から成り立つのか」「具体的に何を修得すべきか」「修得の方法はいかなるものか」「その能力は知識か。知識として体系的に修得できるか」あるいは「修行によってのみ修得できるのか。基本の繰り返しのみによって修得できるのか。」これらは組織を束ねる者、組織にかかわる者が継続的に考え、実践し、修正すべきものだと思います。
ドラッカーはこのことを『習慣的な力』と称しています。『成果を上げることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。そして習慣的な能力は常に修得につとめることが必要である。習慣的な能力は単純である。』
成果を上げるために向上すべき能力を特定し、それを繰り返し修練し習慣的な能力の向上とともに絶えず修得につとめる。継続する必要性を言っているのです。