早嶋です。
イリノイ州の駆け出しの上院議員であったオバマ氏が驚異的な出世の階段を駆け上がった最も幸運な出来事は04年7月に行われたボストンでの民主党大会での演説だといわれています。
オバマ氏が行ったスピーチによって無名の新人が一躍全国区のヒーローになったからです。党大会は、大統領予備選と本選挙の間に行われ、予備選挙に勝利した候補者を正式に党として公認し、本選挙での勝利を誓うための大切な儀式です。
4年前の04年、民主党はジョン・ケリー氏を大統領候補、ジョン・エドワード氏を副大統領候補として選出していました。党大会でスピーチを行う4人の代表者のうち3人は決まっていましたが、残り一人を誰にするか?党では大きな悩みでした。しかも党の基本的な理念をスピーチする基調講演者が未確定だったのです。
当時、4日間の大会期間中、大会初日の夕方、最もテレビ視聴率が高い時間帯はビル・クリントン氏が。3日目には副大統領候補のエドワーズ氏、そして最終日は大会主役であるケリー氏。だれが2日目の基調講演を行うのか?ここでのスピーチを行うモノの役割は、民主党の伝統的に価値観を国民に示しながらも、政治改革のムードを盛り上げていくとても重要な役目があります。
この演説は、希望について具体的な内容とその方向性を示す必要がある。そして、若々しく、国民に新鮮な印象を提供する。また、米国の多様性のシンボルであるような人物が望ましい。そして、その演説を行うモノは次世代のリーダーであればなお望ましい。とてもハードルが高い状況だったのです。
そうです、これらを埋めるのが当時のバラク・オバマ氏だったのです。