早嶋です。
子供の遊び方を観察していると面白い。
3人の子供が工夫して小さな公園で野球をしている。この場合はヒット、この場合はアウト。各々話し合いながらゲームを進める。また途中でルールを見直し、遊びながらルールを創り出している。そこに3人の子供の誰かの弟がやってきた。年の差があるようなので、弟のルールだけ臨機応変に改訂され、4人がみんなで楽しめるように対応していく。答を創り出す遊びだ。
一方で、決められたルールの中で、既に誰かが決めたルールでなければ遊べない子供もいる。その様な場合、誰かが入ってきたり、抜けたりすると、急に遊びが中断される。そして何かの工夫をするよしも無く、互いに怒り出して帰ってしまう。答ありきの遊びだ。
1970年代頃から日本は急成長を遂げ1985年から1990年にピークを迎える。その後下り坂で今に至る。当時は欧米がゴールでその企業の模倣を行い、その企業が提供していた顧客にリーチして同様に効率的に大量に製造販売することが必須だった。それを行うために頭の良さは偏差値であり、例外があるルールなど存在しなかった。まさに答ありきのゲームをしていた時代だったと思う。
2000年頃から始まるIT革命、2007年頃に登場するスマートデバイス。2010年頃より商業に応用されるWifiやクラウド。従来の枠組みに疑問を呈して新たなルールを創る。新しい枠組みを考えてそこに当てはめていく。模倣の対局の中で生まれ育った企業が覇者となる。従来の競争のルールが全く無意味になり、旧態依然としていた業界は、全く新しい産業やスタートアップに見事に飲み込まれていく。ゲームを自ら創り出すのだ。
混沌とした世の中はしばらく続く。ガソリンが電気になり、人間の操縦から自動操縦になるありとあらゆる業界で発生している。その競争は始まったばかり。現在の子供の中で、臨機応変にルールを創り、ルールを変えていく遊びができているグループは良いが、20年前の偏差値至上主義、受験至上主義に生かされている子供は遊びを知らない。
今後、指示命令された内容を効率効果的に解くのはコンピュータやロボットだ。それを待って給与をもらおうという発想は危険だ。卒業とともに失業することが目に見えている。一方、ルールを創り、プログラムを書き、構想してマシンや他のエンジニアに指示、命令、議論できる人間は可能性を秘めている。
混沌とした世の中は、自分の好きなことをして、その能力を磨けば良い。それがゲームを創り出す人材を育てることにつながるからだ。しかしだ。学校でも個性が大切と言っているが、実際にその伸びしろを手助けする大人は極めて少ないと思う。これまで体験したことが無い人が殆どで、教育や子育てに対しても、過去を模倣することが最も簡単だと思っているのだ。そして日本に対しての恐怖は、ここに潜んでいるのだ。