ライスワークからライフワークへ

2021年2月15日 月曜日

要は、今の自分を認めて、今の自分を楽しむ。そのためにライフワークに力点を置く人生の舵取りを徐々にはじめて行けばよいのでは?と思うのです。

(稲作文化がムラ社会を作る)
かつての諸先輩方は狩猟と漁による生活から稲作文化の浸透によって農耕文化が広まり、その結果集団で協力して農耕作業を行うようになりました。特に平野が少ない山間の土地では棚田を器用につくり農耕を行います。もし、上の棚田で仕事をしている人が中途半端に働けば下に水がいかなくなります。誰かがサボれば誰かに多大なる影響を与えることになります。結果的に集団で協力して皆が手を抜かないで仕事をすることが我々のマインドに刻まれたのです。

日本人の中には手が器用な者もいました。彼ら彼女らはその力を発揮して様々なモノや道具をつくり、それらを広範囲に交易していきます。はじめは農業の片手間に作っていたのを、徐々に手工業を主とする仕事に変え、生産力を高め、やがて職人が生まれたと思います。職人は、常に自分の技術を磨き、自分の技が認められるとその仕事と技に誇りを持つよになります。それが更に献身的に仕事に磨きをかけるようなります。多くの職人は他とのコミュニケーションを取ることなく黙々と技を磨き自己との対話を繰り返すようになったのです。

士農工商の身分制度により江戸時代には武士の役割が明確になりました。私は、今の経営層のはしりが武士の役割だったと考えます。当時の武士は社会全体の中で経済を豊かにする役割をにない、武家社会の中で序列を重んじた動きが今の組織の基盤を作りました。当時の藩は自分たちの地域をより豊かにするために積極的に人材登用を行いました。結果的に組織や社会を運営しながら今の組織的な序列やヘッドハンティングのベースが出来上がったのです。

更にこの頃から商業都市が形成されはじめます。当時は雇い主の世帯に奉公人として住み込みで働き、仕事の仕方や慣例などを覚え、一人前になると独立するか支店の経営を任されるというスタイルが出来始めます。これらの流れは近代的なキャリアを形成するパターンの雇用の源流のように感じます。

(明治時代頃より組織的な仕事が定着しはじめる)
明治時代になり近代的な工業生産がひろまるにつれ江戸時代では栄えていた職人の仕事が脅かされる状況がやってきます。生産イノベーションにより職人の技の一つ一つが集約され熟年の技がなくても工場と機械によって細分化された工程が職人の持つ技や技能がなくとも製品の生産ができるように仕組みを作っていったのです。

職人になるには道具を自前で揃え、技能を高めるための修行が必要でした。そのため熟練した職人は仕事の仕方に自主的な裁量を持ち、組織に属する人とは異なった独特の振る舞いや行動を取りそれが独特な気質と雰囲気をつくり出します。当然、近代的な労働市場にはこの職人の態度や気質は相応しくなく、徐々に受け入れられなくなります。近代工業の組織社会では職人の裁量による行動は計画がしにくく、管理しが行いにくい。そのため管理者の指揮命令により仕事をこなす従業員が当たり前になり、職人気質の仕事の在り方が徐々に薄れていくのです。

もちろん規模を大きくせずに、昔ながらの中小企業ではその職人の技や器量は継承されていると思います。今となっては職人の技に大金を払う層も復活していますが、当時の大量生産大量消費のスピードに対応するためには工業製品を投入することをしないと成長する需要に対応できなかったのです。結果として自信の裁量で仕事をする職人や職人気質の仕事は薄れていったのです。

(高度成長時代は良かった)
1960年代、日本の高度成長とともに都市部に労働人口が流入する動きが加速されます。都市人口は当然に増加して規模が拡大します。人口の増加は様々なサービス業をうみ、人の胃袋も大きくなることから、農村部の役割も変わります。自給自足の生活から都市部に対しての食料供給を行う役割になるのです。ただし若者は60年代から継続的に都市部に流れ込んでいったので、結果的に農業人口の減少と高齢化をまねきました。

都市部での仕事のスタイルは商人、職人という自由なスタイルではなく工業化の進展とともに組織の中で働く雇用者中心に変わりました。企業は効率的に仕事を行い利益を稼ぐために、仕事を細分化して教育や能力レベルが低くても仕事の成果を出せる仕組みを開発します。結果、企業の指揮命令のもと、従属的な労働と主体性が乏しく、拘束的な労働のスタイルが定着していったのでしょう。

(30年間続く成熟社会が一変させた)
それでも経済が右肩あがりの時はどんなに辛い労働でもリターンが目に見える形であり、労働者は総じて明るかったと思います。それが1990年代後半の経済成長の頭打ちと共に変化しはじめます。環境破壊、資源浪費、労働過多等が社会問題になりはじめ、失業や雇用の不安、長時間労働からくるストレス、精神的な苦痛、職場環境のトラブルと都市部にはこれまで観察されなかった問題が多数頻発していきます。

若年層では、親世代が一生懸命に仕事をしても20年間何ら変化しない状況を見て、仕事することの意味が見いだせなくなりました。一心に仕事をしても父親や母親の小遣いは乏しく、ちょっとバイトをして小銭を稼いでバーチャルの世界で満足するほうが良い。極端ですが、そのような思想や考えも芽生えていったと思います。結果、若年層のフリーター、無職業者の急増を招き、生きる意味や働く意欲が低下する社会が徐々に形成されています。

今の経済規模を維持向上するための労働者が不足しています。一時期は外国人労働者を積極的に受け入れる策もありましたがコロナ渦でその方向性も不明瞭になっています。企業は定年次期を伸ばし、少しでも長く働いてもらえるように環境を整えています。国としても、老後の負担が軽減されるため、実は嬉しい作なのかも知れません。

一方で、仕事をしている身からすると、定年が伸びることに対して2つの考えがあると思います。1つは肯定的でできるだけ長く働きたい。もう一つはその逆で早々にリタイアして余生を楽しみたいです。では今の日本社会はどちらのマインドが強いのでしょうか。これは私の雑感ではありますが、前者が多いのではないでしょうか。なんだかんだ言って常に仕事をしてきて、時には言われたことをずっとすることで、自分のアイデンティティを担保できた方々も多いと思います。それがある日、年齢が65歳を過ぎただけで、仕事がなくなり社会との関わりが薄れる。と感じる人もいるのでは無いでしょうか。

(実はたっぷりある自由な時間)
定年を仮に65歳とすると100年人生では35年もの間、自由な時間を手にすることができます。それなのにその多大なる時間をどうしようと悩む人があまりにも多いと思います。お金の問題にフォーカスされがちですが、その時間とどのように向き合うかに不安を感じる方が更に多いのではないでしょうか。

生まれてから5歳頃までは完全に母親と父親の制約条件のもと時間を過ごします。6歳から15歳頃までは義務教育期間で自由時間はありますが、両親や学校の制限があります。16歳から18歳頃までは義務教育では無いとして進学を目指すには勉学が中心になり自分から何かを取組む時間がありません。就職や技能の習得を目指す人も、そもそものロールモデルが少ないため、なんとなく宙ぶらりんの時間を過ごします。18歳から20歳の前半は、仕事を始めた人にとっては色々と覚える期間があり余裕がありません。大学進学の場合は、実は最も豊かな時間ではないかとも思うのですが、その時間を自分の研究や勉学に充てる学生は日本にはかなり少なかったと思います。そして社会に出る。20代後半は仕事を覚えることに必死になり休みに余裕が出てくるのは入社して3年、5年頃でしょうか。人によってはその頃から結婚をして新たな生活を始め、生活とお金と仕事を両立しながら一生懸命生きていきます。子育てと過程と会社。充実した時間が60歳ころまで続きます。

もちろんこの間に、自分の趣味や家族との取り組みなどを深めることが出来た人は、老後を楽しみにしているでしょうが、どうもそのような方々がマイノリティだと思うのです。そんな中に35年というとてつもなく長い時間がやってくるのです。

(ライフワークに取組む)
仕事には対価を得るという役割はもちろん、その人が社会とつながっているという意味もあると思います。もちろんこれは専業主婦に対しても同様です。子供や生活を通じて社会とつながっています。それが定年を迎える頃は仕事を通じた社会のつながりも、家庭や子育てを通じた社会のつながりも、薄くなっていくと感じる人が多いのです。早く退職して余生を楽しむプランがある人は別ですが、なんとなくその時を考えずに不安を持って過ごす人は恐怖すら覚えるかもしれません。

そのため従来のライスワーク、つまり生計を立てるための仕事から、ライフワーク、つまり人生を更に楽しむためのワークを早い段階から見つけることが大切だと思います。ライフワークがライスワークになれば一番良いのでしょうが、なかなか好きなことでは食えないのが現実。ただ、老後の不安にお金の心配ばかりせず何とか食っていける見込みをつけて、自分が取り組みたいワークをしながら充実する生活を行えたら当たり前ですが、皆幸せです。そのための準備を今から行うのです。

当人に取って何がライフワークになるかわかりませんが、当人がこれだと思えば何でもライフワークにつながります。人から言われて行うでもなく、ワークの内容を他社と比較することもなく、自分の軸で自分の判断で自分のペースで取組む。そのようなライフワークがあれば、時間がどれだけあっても足りないでしょうし、何よりも生きることが楽しくなると思います。

20代から社会にでる方々は是非、自分のライフワークを探してみてください。それが何なのかわからなければ20代、30代で体力が許す限り、いろいろなことにチャレンジしてみてください。40代はその中のライフワークに身を傾ける行動をはじめてください。徐々に自分を認めできること、出来ないことがあって自然。今の自分の力量をみながら伸ばすこと、諦めること、頼ること、頼ってもらうこと。いろいろな視点で自分を見つめ直す。すると50代になる前頃より複数のライフワークに取り組みながら、徐々にリスすワークの量を減らすことができるのでは無いかと思っています。

そのためのリカレント教育。40代の私に取って今の仕事の延長上の知識や技能を習得することはもちろん、より今の人生を豊かにするための雑学や仕事に関連しない分野の知識がとても重要に思えています。何が正解かはわかりませんが一度きり、是非自分で切り開いて試行錯誤と実験を楽しんで行きましょう。



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