早嶋です。
とある職人と長いこと時を過ごし、様々な議論を行いました。そして最後は、「職人って一体、どうやったら育つのか?」というシンプルな議論になりました。
職人とは、ウィキによると、『自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を創り出すことを職業とする人』とあります。更に、『日本では江戸時代の士農工商の工にあたり、歴史的に彼らを尊ぶ傾向があり、大陸より帰化した陶芸工や鉄器鍛冶は士分として遇された。彼らの持つ技術は職人芸とも呼ばれる』とあります。
職人と話した『職人になるための要素』は、我々が出した結論は、センス、興味、そして継続でした。まず、前提として職人にはセンスが必要です。いきなり直球で乱暴のように聞こえるかも知れませんが、職人の話を聞くと妙に納得しました。
曰く、「何十年も色々な弟子や丁稚を見てきて、作業をさせた時に、センスよく行える人と、手際が悪く、不器用な人と直ぐに分かる」と。職人の仕事は基本的に長時間一つのことに没頭する作業です。そこには当然に向き/不向きがあるものです。
コンサルの仕事や研修講師の仕事でも同じことが言えると思います。「あっ、この人は向いていないな。できれば別の仕事をしたほうが良いな。きっと苦労するだろうな。」とか。逆に、「この人いいなぁ、スーっと話が入ってくるし、間合いもいいし、筋がいい。」となることも。
やはり少しだけその人を観察することによって、ある程度その人の出来不出来が分かるものだそうです。それはなんというか、うまい言葉が見当たらなくて、やはりセンスとして表現した方がしっくりくるのです。
次に興味です。本人が、最終的にその仕事を好きになっているか、嫌いなままかはひとまず置いておきます。本人が何かに対して掘り下げ、拡げ、または全く関連しない分野と結びつけることは、興味があるからできるのです。職人は自分と向き合い、徹底的に技を磨くのが生業です。そのため興味がなければ、そもそも自分から学ぶことができません。
これは何にでも共通することです。会社に入り、OJTで学ぶ。たまに会社が用意してくれた社外の研修でも学ぶ。しかし、それ以外は受け身になっていては、普通の仕事しかできないでしょう。昔のように機械が効果で人の手で補っていた頃は良かったですが、今ではこの手の社員はあまり使い物にならないと思います。
通常、この手の人材の特徴は、何かあった場合に、直ぐに自分の取り組みを鑑みずに会社や世の中のせいにすることです。きっと全ては、与えられた恵まれた環境で育ったという背景にあるもかも知れません。しかし、本来人が伸びる瞬間は自己啓発です。人から言われて無理やり取り組んでも、当たり前のことはできるようになります。しかし飛び抜けて、秀でた力は身につくことはありません。
これは仕事でも職人技でも一緒ですね。最終的には、何らかの取り組みそのものを他人事として捉えないで、自分事として捉えることで、初めて内発的な、内側から発するエネルギーによって気持ちが高まり行動につながるのです。自己啓発意欲が高い人は、人から言われなくても、現地現物が大好きで、聴いたことは、自分で確かめないと気持ちが済みません。実物を見て体験を通じて、自分の取り組みを見つめ直し、そこからの学びを次の行動に結びつけます。この域になれば占めたもの。水を得た魚のようスイスイ泳ぎ出すことでしょう。
3つ目の要素、継続です。続けるか、続けないか。或いは続くか、続かないか。職人は、「まずは3年」という時間単位を話していました。3年というのは私も同様だと思います。毎日、死にほど一生懸命10時間没頭して取り組んだとします。1年間で365日、3年間で凡そ1,000日です。そうすると、約1万時間そのことに取り組んでいることになります。よく言われるように、プロになるためには1万時間は没頭する必要があるのです。経験則だとおもいますが、1万時間続けることは、初めての人には難儀でしょうね。
逆を言えば、興味やセンスが無くても、1万時間の取り組みがあれば、プロとして一定の成果は出せるようになるということです。しかし、ほとんどが3年どころか3ヶ月も続きません。
やる気が無いのか、やらないから気分が下がるのか。上手くいかないことから焦り始めて直ぐに諦めてしまいます。その因果にひょっとして興味とセンスがあるかも知れません。しかし3年続けた結果、確実にある程度の技量は身についています。
海外では日本の職人はとても珍しく映るそうです。理由は、全体の工程を一人でこなす職人が多いことです。また今でも機械ではなくアナログな昔からの道具を使いこなすことで昔からの技を磨いています。この点がとても興味深いようです。
もちろん欧州でも職人はいます。しかし彼ら彼女らの多くは職人の手仕事に対して、合理的な分業を行い、積極的に機械化をすすめています。工程を細分化することで、教育する範囲も小さくなるために、合理的に担い手を育てることができます。全ての工程を、それぞれ異なる道具で、職人のセンスによって取り組む日本の技は、そう簡単に真似することが出来ないのです。
では、日本はなぜ合理的に分業を施して機械化を導入しなかったのでしょうか。職人との議論の中ででた一つの見解は、家業でした。家業とは家族によって継承される一定の生業を指します。日本の職人技の多くが家業で、特定の氏族や家系によって、特定の学問、知識、技芸などが世襲的に継承されたのです。
常に同じ空間にいて、全てを共有しています。子供は職人の背中に背負われ、小さいながらも職人の広範囲な手仕事を見ています。丁稚の期間は乳飲み子からはじまっているのです。
職人は自分と向き合って技を磨く人たちですから、逆を言えば、自分の技を合理化して自分以外の第三者に伝えることが苦手です。そのため、他人に対して仕事を任せようとしても、中々上手くコミュニケーションが取れません。家族であれば、血の繋がりがあるので、辛抱強く技を継承させることが結果できたのです。
また、家業で行ってきたため多くの職人が小規模で細々と行ってきました。結果的に道具に対しての設備投資を行うこともなく、100年、200年と変わらない取り組みが続いたのです。結果、進化しなかった取り組みが、今の時代に評価されるようになったのです。
2045年にシンギュラリティがやってくる。そうなると考えることすらもAIが人間の代わりに行ってくれて、誰も何もすることがなくなってしまう。そのようなSFのような世界になりつつある今、あえて人間の力だけで、全ての工程を少人数で創り出す技は果てしない価値を生むようになると思います。
同じものは簡単に機械で作れるかも知れません。しかし、それは機械の仕事。完成した商品を見ると、人の手仕事で行ったぬくもりなどが伝わって来ません。合理化がますます進む今、あえての非効率化が価値を生むヒントになるのでは無いでしょうか。職人と話をした後、私が持っている仮説は、つまり非合理的な仕事の価値について、また少し理解が深まりました。
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