自分にとってのマインドフルネス

2019年5月29日 水曜日

早嶋です。

マインドフルネス。簡単に言えば、「その瞬間に全力を傾けること」でしょうか。MITマインドフルネスセンター所長のジョン・カバットジン博士は「今という瞬間に、余計な判断を加えず、自分の人生がかかっているかのように真剣に、意識して注意を向けること。」と定義します。

最近、好きな言葉に「心は頭よりまさる」というのがあります。誰かがお話された言葉かなにかあの本で読んだ言葉だと思いますが(検索しても出てこない)、我々人間は感情が先に動いて後から頭で考えることが多いということです。

朝起きて、ベランダに出た後は花や木々に水をまきます。その後、飼っているメダカの卵を採取して別の水槽に移します。一方で10日間程度で針子になったメダカを別の水槽に移して育てています。

自宅で朝を迎えるときは毎日欠かさず行っていますが、このときの精神状態はまさに何も考えていなくて、水やりのときは植物と対話をしており、メダカの世話のときはメダカと向き合っています。

マインドフルネスは私なりの解釈は、今に集中するテクニックです。今に集中することで他のありとあらゆることから思考を脱することができるため、たとえそれが短時間であっれも毎日の中にルーティンとして取り入れることで心が豊かになっていきます。

考えると、普段の呼吸や心臓を動かすことに対しては無意識に行っています。しかし、そのことを意識し始めると、呼吸以外のことを考え始めます。過去のこと、これから行わないといけないこと。考えないようにすればするほど雑念が浮かんできます。しかしながら毎朝のルーティンは考えて行うことを超えて行っているため、水やりそのもの、メダカの世話そのものに意識が集中できているのです。

以前は収集癖がありました。骨董(というレベルのものでもないですが)や椅子(無名から有名デザイナーの作品)を調べてはなんとかして手に入れるという遊びです。このときも探しているときや調べ物をしているときは無心にそのことに集中できていましたが、その状態がずっと続くものではありませんでした。

植物やメダカの場合は手に入れてからがむしろ対話する時間が多いですが、骨董や椅子などのカタチがあるものは、手に入れた当初は愛でて楽しんでいましたが、すぐに他のものに目移りしていきました。所有欲というのは、ある意味煩悩を常に最大化する取り組みで、集めても集めてもきりがないものだと思います。

今の私にとって毎日の植物の対話とメダカの世話は欠かせず、今に集中するための大切な儀式なのです。



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