小さい犬ほど声が大きい。
男は黙ってラッキーストライク。
2つ目は冗談として、時として教養がある方は、黙して語りません。おしゃべりは教養の欠如である。哲学の祖であるキルケゴールが言っています。ネット社会が当たり前になると、これまでの脳内会話を自由に表現することができるようになりました。ツイッターでのつぶやき、FBでの投稿、等々。
皆が総評論家になり、皆が発現する。非常に良いことですが、一方で、その発言に対してなにも考えずに受け入れる。鵜呑みにする。も増えています。同哲学者は、プロの仕事を尊重するのは教養と言っています。他人の邪魔をしないことは品性であり、無駄口を叩かないことが成熟に関わると。
ワークショップなどで議論をしている時に、すぐにググる方が増えています。そして、その内容をベースにあたかも自分が考えた如く発言します。ヒトは不安定な状況の時、自身がないときはヒトの発言や第三者の発言に引っ張れれる傾向があります。しかも無意識に。一方で、逆の立場であれば、今度は自分の意見を押し通します。どちらが良いというわけではなく、ヒトには両方のバイアスがあるのです。
長いものにも巻かれ、周りの意見に耳を傾けない。
一見矛盾しますが、両極の視点の存在が個人の中にいるということです。そして、そのことを知りません。脳が無意識に行っているのです。ということは、そのようにヒトは考えることを知ることによって、見識を広めることができる。無知の知になるのでしょうね。
> どちらが良いというわけではなく、ヒトには両方のバイアスがあるのです。
なるほど。常に、自分は両方のバイアスを受けている、と自覚しておくのがいいようですね。
両方の存在を知る。って結構重要な気付きだと思います。