教育に想う

2013年2月8日 金曜日

早嶋です。

教育の在り方に対して考えることが増えました。過去は韓国式の「詰め込み教育」。そして、今はフィンランド式の「リラックス教育」。でも、行政が「詰め込み教育」か「リラックス教育」かを決めた所で、何の効果も生じないと思います。

日本が高度成長を迎えていた団塊の世代は、競争相手が多く、競争に勝つことで何か得るものが目に見えていました。競争の結果を体験することが出来ました。従って競争環境が必然的に激化します。今の韓国はまさに同様の状況か、それ以上に厳しい環境だと思います。少数の大企業に就職出来なければ負けという考え方が蔓延しているからです。昔の日本や今の韓国が「詰め込み教育」であるのは社会環境が前提条件です。つまり、行政が決めた結果では無いと思います。

一方、「リラックス教育」は個人の資質と家庭環境が大きく作用して、能力が発達する時期も人によって異なって来ます。少なくともこの方式は少人数国家では成り立つと思いますが、日本ではまだ学生の人数が多くて支障をきたすことが多いと思います。また、親が子供と過ごすために1ヶ月くらいの長期休暇を取って、一緒に山にこもるとか、旅をするなどもちょっとむずかしいと思います。子供の数や親の仕事環境から見ても「リラックス教育」だけでもフィットしない。

つまり、「詰め込み教育」と「リラックス教育」のどちらかを採っても問題解決につながらないのです。日本の教育システムの中に民間が強く関わる塾、予備校、浪人があります。ゲームやアニメもそうですが、日本で良く発達している機能の特徴は、行政主導が外れている部分です。生徒自信が自分に合った塾を選択して、学業遺体の部分を含めて学校教育の不備を補う義務教育課があります。高校や大学で失敗しても個人の判断で浪人を判断することもできます。そして予備校のシステムも個人に合わせた教育カリキュラムで高い完成度を持っています。

現在のように国民全員に対して規格化された教育を押し付けても習熟度に差が生じるのは当然です。能力の開花が遅い子供にフォローする先生も少ないでしょうし、俗世離れした生活から世界の事情や様々な世の中のことを生徒に伝えていくことも難しい。恐ろしく早い時期に能力が開花した子供にとっては画一したカリキュラムは退屈でしょう。これに対して民間の塾、予備校、浪人が上手くフォローする仕組みとして機能しています。そういう意味では義務教育の横並びを小学校くらいまでにして、中学校以降は全て単位制にする。単位修得のプロセスは自分で決めてもらう。もちろん、将来の目標の設定やそのプロセスに関する指導は行う。ただ、プロセスの選択や目標の設定は各人に委ねる教育があっても良いと思います。

自信の経験ですが、中学校で国語が嫌いになりました。嫌いになった理由も、著者の考えを述べよ。なんてテストに、自分の考えはわかるけど、著者の気持ちを正確に描写出来ない。と記述した位からです。屁理屈だと言われ、回答があること自体に疑問を持ったのがきっかけです。後は、勉強をしないので点数が悪くなる悪循環。一方で算数や理科は、モノを観察して、解を導き出すためのプロセスに理屈がある。或いは、前提条件が揃って入れば、アプローチは異なっても解にたどり着くことができる、ということで好きでした。好きな科目は勝手に学ぶ、だから成績も上がるのです。

高校に進学した時、数学の点数が良いから理系。国語の点数が良いから文系と機械的に振り分けられます。理系で成績が良い人は無条件で医学部コースを勧められます。本人の意思よりもその人の偏差値が大学を決めていたのです。高校は義務ではないので、生徒の進学が先生の評価につながっていたのでしょう。偏差値の高い学校に入学させることが出来れば先生の評価が上がる。教育とはやや偏ったKPIの設定があったのではないでしょうか。

中学校以降の科目が単位制であれば、興味のある分野は自分でトライして、その後も本人の意思で自由に進路変更が可能です。総合力は小学校で身につけ、中学校以上は個人の個性に従って能力を伸ばしてもらうという発想です。この中の選択には、学業以外にも職人という道もあれば良いと思います。高校を中退して一念発起してラーメン屋を始める。今の学校教育からするとアウトローですが、自分の責任で生計を立てているという点では称賛に値すると思います。

小学校の義務教育の中で様々な職業を紹介して、実際のその職業で金銭を得ている人に登壇してもらい、面白さや、仕事の難しさ。頑張らないといけないことや仕事にかける想いを話してもらう。世の中にた多種多様な仕事があり、夫々があって社会インフラが成り立っていることを理解する。

進学して偏差値の高い大学に行って、大企業に入ることが全てではない。それも選択肢の1つであって、もっと色々な在り方がある。親の世代のときは、商店や工場を継ぐ人が多かったです。今は、跡継ぎがいなくて廃業する商店や工場が増加しています。高度成長期は、大手の企業に務めた方がよい生活ができるということで、皆がこぞって進学して上京した。でも、今の社会は異なって来ています。このような時期だから、教育方針も社会背景に合わせていった方が良いと思います。



コメント / トラックバック1件

  1. あつろう より:

    行政が決めた結果では無いと思います。

    →行政は世の中の動きより10年遅れると一般的にはいわれていますね。

    ゲームやアニメもそうですが、日本で良く発達している機能の特徴は、行政主導が外れている部分です。

    →お上の目の届かない分野が伸びている。皮肉なものです。

    俗世離れした生活から世界の事情や様々な世の中のことを生徒に伝えていくことも難しい。
    →世間を知る、社会人の方々に授業を行ってもらうケースもでてきましたね。
    (授業って教員免許がないとできないはずですが、そのあたりどうなんでしょうか)

    恐ろしく早い時期に能力が開花した子供にとっては画一したカリキュラムは退屈でしょう。これに対して民間の塾、予備校、浪人が上手くフォローする仕組みとして機能しています。そういう意味では義務教育の横並びを小学校くらいまでにして、中学校以降は全て単位制にする。単位修得のプロセスは自分で決めてもらう。

    →アメリカ等ではこれらとは少しちがいますが、飛び級制度がありますね。日本でも現在議論されているとおもいます633制の見直しを含めて。

    このような時期だから、教育方針も社会背景に合わせていった方が良いと思います。

    →社会で求められる人間も変わってきているのですから、その養成機関も当然かわるべきでしょうね

    この投稿は 2013年2月8日 金曜日 7:10 AM に マーケティング, 意思決定, 感じた事, 時事情報 カテゴリーに公開されました。 この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイト

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