制約条件。1日は24時間と限られている。人間の寿命には限界がある。今ある資金は限られている。起業時の経営のリソースは制約がある。欲しいものは沢山あるが全てを手に入れることは出来ない。いろいろしたい、でも全てにおいて制約があり、選択しなければいけない。
人生に制約条件が何も無かったら、きっとつまらないのでしょうね。制約条件があるので、その限られた中での自分の最大限のハッピーを追求するためにあれこれ考える。だからやる気もわいてくる。成功者よりも成功を目指しているヒトの方がはるかに行動に対してのモチベーションは高いと思います。制約の幅が大きいほど取り組み度合いが高くなるのでしょうか。
起業して、自分のアイデアを受け入れてもらえなければ売上が発生しない。当然、売上が発生しないので給与を受け取ることは出来ない。はじめは資本金を食いつぶせますが、そんなに準備できる訳ではないので、すぐにそこがつきるイメージがわく。恐怖感がこみ上げる。しかし、その追い込まれた環境では、パフォーマンスが向上します。今がどん底。なにもかも可能性があれば試さなければならない。出来なかったらどうしよう。そんな発想すらなく、とにかく自分を信じて行うしか無い。極限でしょうか。
不思議です。安定した環境下よりも不安定な環境にいる時の方が頭の回転が速くなります。ヒトは制約条件があると、あの手この手を考えるのでしょうね。そういう意味で自分の制約条件を認知して、一生懸命頭を回転させる。これが出来れば、どのような環境下であっても本来の自分を十分に発揮できるのです。
日露戦争。日本軍がロジュンという港を見渡せる丘をロシア兵と取り合いをする場面。日本軍の物資と兵力はとても十分とは言えなかった。その状況下で全ての制約条件の中、とにかく丘を支配することが戦争に勝つことだという一新で奪還に成功する。制約条件の極みでしょう。
安定した環境に自分を置いて、その瞬間を楽しむのも人生。不安定な環境に自ら挑戦して立ち向かうのも自分の生き方。何を選択するかは個人の意志。しかし、今がつまらなく、先を見ていることがあれば、その時は勇気を出して一歩踏み込んでみる。きっと最悪の状態に一度や二度は陥るでしょうが、そんなときこそ自分の力が発揮できるかも知れません。人生は一度きり。だったらたまには脱線して、やりたいことに足を突っ込むのも有りですね。
制約のこと、確かにその通りですね。俳句も、17文字に限られているから、鋭い文学性が生まれる。
日露戦争の話は、二百三高地ですね。先日の読売新聞のテレビ欄、「坂の上の雲」の紹介で、こんな文章がありました。「国益のためには国民を捨て駒として使うことも辞さない近代国家の残酷さと、それを現実に決断する指揮官の苦悩がにじむ。」と。
指揮官の苦悩。それは分かる。ビジネスでも、成長期のベンチャー企業の社長が、社員を不眠不休で働かせねばならないことは分かります。働かせる、というより、部下が自発的に働くんでしょうけど。だけど、戦争でもビジネス(過労死)でも、命を落としたらダメだと思うんです。将も兵も、一個人として尊重するのが日本国憲法の精神ですよね。
ぼくが、長くフリーで働いており、なかなか組織論理になじめないから、こんな発想をしてしまうのでしょうか?
ぐるぐるさん、いつもコメントありがとうございます。
社員は兵隊ではなく、チームですね。チームのビジョンに向かって一緒に創り上げる。従って働かせるという発想ではなく共に創るという発想。ただ、現状は過労死の問題もある。全ての会社で起きる事象ではありませんが、一部の会社で起きるとその印象が濃くなる。
皆が生き生きと自分の尖った分野で仕事ができる環境が理想ですね!