早嶋です。
マンチェスターを後に、リバプールに移動です。リバプールも夜間人口こそ50万人程度ですが昼間の人口は100万人を超える大都市です。この街は過去においては港町貿易の中心地として栄えていましたが、第二次世界大戦を境に街に失業者があふれ衰退していった街です。しかし、近年、”観光”という新たな活路を見出し街全体が一丸となって復活を遂げつつある現在進行形の都市です。今回は、リバプールがどのように観光都市として生まれ変わっているのかを視察してきました。
まず、港町の玄関口である”Albert Dock”アルバート・ドック。この近辺はリバプールの再開発地域を代表する海辺の地域です。18世紀以降、世界有数の港街として栄えた船や海に関わる当時の建物をそのまま活用してショップやレストラン、ホテルや博物館をはじめ、様々な見どころを集めて、一大レジャーコンプレックスを形成しています。ハード類は全て歴史的建造物をベースとしているので港街独特の雰囲気を醸しつつもオシャレな感じを楽しめるスポットです。雰囲気は横浜の港街や門司港ですが、規模はその10倍くらいです。
それからビートルズ。ビートルズはリバプールで誕生し世界中にトレンドを発信してきました。リバプールにはビートルズゆかりの場所や建物がいたるところに点在しておりビートルズファンではなくても、思わずカメラを撮りたくなるようなスポットが沢山あります。ビートルズの足跡を訪ねて歩きまわる観光客の姿も随分と目にしました。
博物館や美術館などの文化遺産。アルバート・ドックもそうですが、港の北側の山の手には多くの歴史的遺産が数多く残っています。そしてそれらは博物館や美術館として整備されています。例えば”Liverpool Cathedral”リバプール大聖堂。リバプールのランドマーク的存在の大聖堂で英国協会系の大聖堂としては世界最大の大きさを誇ります。大聖堂の中には自由に出入りすることができます。規模と内部のステンドグラスや装飾の美しさは宗教的な神秘性をはるかに超越しています。
例えば”Metropolitan Cathedral”メトロポリタン大聖堂。リバプール大聖堂の北西に位置する大聖堂です。こちらはカトリック教会としてはとても珍しいラジカルなデザインです。外見はドーム型のテントをモチーフに創られ、内部のステンドグラスから漏れる光が生み出す光彩は神秘的です。
例えば”The Walker”ウォーカー美術館。14世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの絵画が集められており、特にイタリア絵画とオランダ絵画が充実していました。美術館の近くにはアートを専門とする大学やカレッジが点在しており、学生が模写をしている風景を楽しむことができます。
その中の一つにポール・マッカー・トニーの寄付金によって創られた大学がありました。この情報は、リバプール大聖堂を見学している時に知り合った地元の名士に教えてもらった話です。リバプール大聖堂からメトロポリタン大聖堂まで移動する道中、一緒に街の中を歩き、歴史や物語を教えてもらいました。途中、なぜか総大理石で出来ている有名な”トイレ”ということで、パブの中にあるトイレを案内してもらいました。確かに、総大理石で装飾された立派なトイレがありました。トイレの写真を撮ったのはこのときが生まれて初めてです。
街の中を観光しながら歩いていると、リバプールの観光開発は確かなグランドデザインを基に進められていることがわかります。街の中にはインフォメーションセンターが複数配置され観光客に適切な情報提供を行っています。また、通りの至るところには各施設の案内と地図が配置されています。こちら歩きまわる時に非常に便利です。
リバプールの街並みは通りが広く車でのアクセスも、とてもよく考えられています。マンチェスターは通りが狭く一方通行が多かったせいもありますが通りの看板は少し不親切に感じました。一方、リバプールの街は初めての運転でも迷うことなく目的地まで行くことができます。更に大型の駐車場も用意されていて、町中をグルグル回りながら駐車場を探すストレスもありませんでした。
日本の多くの地域でも、観光を目玉に年を再生しようとする試みがあります。しかし、多くの場合が局所的で全体を1つのコンセプトに基づいて観光開発している地域は零にひとしいと思います。更に、観光と言いながらも個人の利益を最優先して観光客の視点になったサービスを提供しているとは考えにくい地域が多いです。その点、リバプールの観光開発は見習うべきポイントが多いです。
※こちらはベビーカーや傘などを無料で貸し出しています。使ったベビーカーや傘は自由に戻して下さい!全ては観光客の事を考え、性善説をベースに運営されています。