企業研修の真意

2008年8月11日 月曜日

早嶋です。

ブログ「答えが無い時代に答えを教える愚」でもコメントしましたが、絶妙な言葉です。特に経営の世界では唯一の絶対解を探すほうが苦労する、寧ろ存在しないと思います。

企業研修の中でよく、「答えなんてありませんので、自由に考えて発言して下さい!」とコメントします。しかし、必ず中には「???」といった表情を浮かべる人がいます。何かしらの答えを求めているようです。

経営理論は過去の偉業を達成した企業や経営者のノウハウを体系化した素晴らしいツールです。しかし、一方では後智恵理論でもあります。経営の勉強をするとき、よくケーススタディーを行います。ケースに書かれている細かい内容を読み取り、何が成功の要因となったか?をあれやこれやと議論していきます。全ての内容が絶妙に絡み合ってあたかもアートのような仕上げになっているケースも少なくありません。

本当にケース通りいくのでしょうか?ケーススタディーを行うとあたかもその企業の当事者の気持ちになり、上手く経営が行えた気分にもなります。実際、多くのことを体験していますので、ケースを否定しているわけではありません。しかし、現実と机上を明確に分けて考えた方が良いのではないでしょうか?ケースで分析した内容は学習者の仮説。実際の当事者は全く違うことを考えていた、或いは様々なタイミングが重なってある意味偶然の賜物だった、なんてこともあるかもしれません。

以下、MBAの講義の中で行われたディスカッションの抜粋です。—-
誤解を招くと良くないので一応断っておきますが、日々現場のマネジャーたちは限られた意思決定能力の範囲内で、精一杯合理的に判断しようとします。ですので、いかなる施策も、事前にはある程度の合理的な判断の跡があります。

ただしプロセス途上(ないしは事後的)にしか明らかになってこない様々な偶発的要素があることも忘れてはならず、それをその都度対処するフレキシブルな対応能力もそのマネジャーに求められる能力の一つです。事前ないしプロセス途上の(事後的な)適応要素の両方を読み取ることが、ケーススタディを行う際に重要です。そうして初めて、ケースに現れてくるさまざまなマネジャーたちの能力評価を適切に行えると同時に、そのケースから得られる教訓の一般化の範囲というのが明確になりうると思われます。

ただし、先にも言いましたとおり、原則的には他のケースとの比較分析を抜きにして、厳密な判断は付きません。であるからこそ、モヤモヤした感じは払拭できず、認知的不協和状態に学習者がストレスを感じるということなのだと思います。

それでは、たった2,3のケースで何が学べるのでしょうか。少なくとも、今現在自分の頭を支配しているパラダイムをぶち壊すだけであれば、シングルケースで事足ります。そこに確定的な答えはないものの、自分なりの仮説は立ちます。その仮説は、職業人生を通じて様々な状況に直面するなかで比較対象を得て、ますます磨きがかかって行きます。

またそうした長期的かつダイナミックなプロセスを、ある一時点だけお手伝いするのがファシリテーターである我々教師です。我々は実践世界に没頭する必要がない分、個々の業界・組織のどのパラダイムにも属さない自由度があります。だからこそ、学習者の脱パラダイムを促すきっかけぐらいは提供できるのです。答えは差し上げられませんが。

ひとつひとつのケースに取り組んで、混沌とした違和感をまず覚えることがあります。それは脱パラダイムのきっかけであるかもしれません。またもしも自分の思ったとおりにすっきりはっきり分析できたとしたら、それは自分の仮説を磨き上げる作業ということです。そのいずれも大切ですし、我々教師の立場からどちらが正しいとか重要とかいう筋合いのものではありません。ただし、学習者自身のなかで、いまどちらの作業をしているのかの区別をすることは、大変に重要な自己分析能力だということは言えると思います。
—–以上、抜粋終了———



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