旧暦コラム そうだ、明日山に行こう!

2025年4月18日 金曜日

早嶋です。

今週は月曜日から鹿児島でした。昨日の夜、福岡に戻ると僅か3日の時差なのに春が近づいている気がした。鹿児島に行く前の週末の朝、筍を掘りに近くの野山へ出かけた。目立って出ている筍はなく、ようやく土から頭を出した二本を見つけたに過ぎない。あれから一週間。明日は穀雨。

たしかに今日は湿度が高く、雨が降って地面を潤すほどでもない。けれど、山の匂いが少しずつ変わってきている。あの空気の底に、土が膨らみはじめる気配がある。明日はもう一度、筍を掘りに行ってみようと思う。今度は、地面の下から一気に伸びてくる気がする。探すことなく、破竹の勢いを感じられるだろう。そういう季節の気配だ。

筍というのは、まるで生き物のようだと思う。掘る人の気配を感じているかのように、ある時はひょっこりと顔を出し、ある時は黙って地中で待っている。油断していると、一晩で手の届かない高さまで伸びてしまう。そして、最近はイノシシとの奪い合いだ。幸いなことに近くの野山は市が管理しており、住宅地の中にポツリと残された自然なので競合相手がいないのだ。それでも、「今しかない」という、あの感覚は今の季節を感じる。

春という季節は、どこか焦らせてくる。花は咲くけれど、すぐに散る。若葉は芽吹くけれど、気づけば初夏の色に変わっている。筍もそう。掘れる時はほんのわずか。しかも、良い筍ほど見つけにくい。けれど、そんな一瞬を追いかける暮らしが、なんとも贅沢だと思うようになった。

スーパーに行けば、一年中たけのこ水煮が手に入る。でも、朝の山に入り、湿った土を手でかき分けて、「あ、いた」と静かに興奮する。そのひとときが、筍をもっと美味しくしてくれるのだ。実際に美味しく変えるのは妻の腕なのだが。



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