早嶋です。約2000字です。
哲学者のエピクテトスの考え方は、「コントロールできること/できないことを明確に分ける」という考えが根底にある。そしてストア派哲学の核心になっている。彼の思想は、現代にも通じる実践的な哲学だと私は思う。特に自己責任の捉え方において有益だ。
(エピクテトスの教え)
エピクテトスは『人生談義』の中で、次のように述べている。私たちの力の及ぶものと及ばないものを区別せよ」と。これは、自分で変えられることに集中し、変えられないことは気にしないという教えだ。自分でコントロール出来ることに対して、その範囲内で自由に振る舞うことが、ストイックの語源にもなっている通り、一部難しい哲学と思われる傾向があるが、私は支持してる。
例えば、何かの試験やプロジェクトに失敗した場合に次のように考える。コントロールできることは、自分の努力で、事前準備で、取り組み方そのものだ。一方で、コントロールできないことは、他者の評価で、環境の影響や、運そのものだ。このような考えに基づくことで、「結果がどうであれ、自分ができる限り最善を尽くしたのなら、それでよし」と受け止めることができ、気にしないのだ。
更に、エピクテトスの哲学では、失敗しても「自分がダメだった」とは考えない。なぜなら、結果は外部要因にも左右されるため、自分だけの責任ではないからだ。したがって、必要以上に落ち込むことなく、次の行動に意識を向けることができるのだ。もちろん、この考えの前提には、自分でコントロールできることに対して本気で望んでおく必要はあることは言うまでもない。
この考え方は、現代のビジネスやスポーツ、個人の成長にも応用できると思う。交渉やプレゼンの結果は相手の反応次第だ。自分の準備と伝え方に集中すればよいのだ。 スポーツ等の試合の勝敗も、相手の実力や審判の判定にも影響される。自分のパフォーマンスを常に磨くことに集中するのだ。そして人間関係。そもそも他人の態度はコントロールできない。常に自分の誠実な振る舞いにフォーカスすればよいのだ。
このように、「自分のコントロールできる部分に集中する」というストア派の考え方を身につけると、無駄に悩んだり、自責しすぎることが減り、より合理的で精神的に安定した生き方ができるようになるのだ。
(ストア派はマイナーなのか?)
ストア派哲学は、マイナーな存在と聴いたことがあるが、逆に他のメジャーとされる哲学の思想はどうなのだろう。
アリストテレスは徳の哲学だ。「バランスが大事!感情も大切にしつつ、人として成長しよう」という主張がメインだとした場合、ストア派は「感情は邪魔だから抑えよう」とする。アリストテレスは「感情とうまく付き合って、人間としての徳を磨こう」と考えている。
プラトンはイデア論だ。「この世界は不完全!本当の理想を求めよう」という主張だ。ストア派は、「今ある現実を受け入れる」のが基本だ。しかしプラトンは「もっと完璧な世界があるはず」と理想を追い求める。
宗教になるがキリスト教の思想は、「運命は神が決めるもの。信仰で救われる」だ。ストア派も「運命を受け入れよう」と言うけど、キリスト教は「神の計画がある」と考える。ストア派はあくまで「理性」で人生を乗り切ろうとするのが違いだろう。
デカルトは合理主義だ。「理性を使えば、世界をもっと理解できる」と。ここにストア派は「コントロールできないものを気にしない」が、合理主義は「いや、もっと世界を分析して理解しよう」と考えている。
ロック&ヒュームは経験主義で知られる。「知識は経験から得られる」と。ストア派は「どう考えるか(内面)」を重視するが、経験主義は「外の世界で経験を積むことが大事」としている。
そしてサルトルの実存主義は、「人生の意味は、自分で決めるもの」だ。ストア派は「運命を受け入れる」という考えに対して、実存主義は「意味がないなら、自分で作ればいいじゃん」と考えるのだ。
となるとストア派一辺倒でもなさそうだ。私の場合。ストア派は「運命は決まってるし、変えられないことは気にしない。自分の心を鍛えよう」だ。この考えは素敵だが、メジャー哲学の教えのように、「いやいや、もっと現実を変えたり、理想を求めたり、知識を増やしたり、神を信じたりしようよ」ってのも良いと思う。ただ、色々整理して考えたことは、ストア派は「どうやってストレスなく生きるか」にフォーカスした哲学なのでは無いか。と思う。そして、他のメジャーな哲学は「どうやって世界をよりよくするか」を考える傾向が強いのでは。だからこそ、ストア派はちょっと独特で、メジャーな思想とは違う立ち位置にあると解釈されているとまとめることができるかも知れない。