新規事業の旅120 実践は時間と努力の変数

2024年6月29日 土曜日

早嶋です。

自分たちの状況が不安定なときと安定した時、どちらの方が創発が優れているのだろうか。私は、圧倒的に豊かな時にこそ、人類の思考、哲学、宗教の発展があったと思う。

(豊かさと思考、哲学、宗教の誕生)
古代ギリシャ哲学。特にアテナイ(アテネ)の時代、経済的な豊かさが、多くの哲学者を誕生させたと思う。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者たちが活躍した。アテナイは民主制が発展し、公共の議論や教育が重要視される社会、経済的な豊かさと市民の自由な時間が哲学的な思索を促進したと考える。

古代インドでも、マウリヤ朝などの繁栄期に仏教やジャイナ教といった宗教が発展した。仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、王族として生まれ、物質的に恵まれた環境で育つ。彼が苦行と瞑想を通じて悟りを開いたのは、豊かな環境の中で精神的な探求に時間とエネルギーを割けたのがきっかけだとも考えられる。

中国では、春秋戦国時代という戦乱の時代が続いた後、秦の統一によって安定がもたらされた。その後の漢の時代に儒教や道教といった思想が発展。特に漢の時代には、国家が儒教を官学とする政策をとり、儒教の思想が広まった。経済的な安定と国家の後押しがあったのは事実だ。

イスラム教の黄金時代(8世紀から13世紀)は、科学、哲学、医学、文学の分野で多くの成果が生まれた。アッバース朝の時代にバグダッドが文化と知識の中心地となり、経済的に豊かであったため、哲学や科学が発展した。アル・ファラビ、イブン・シーナー(アヴィセンナ)、イブン・ルシュド(アヴェロエス)といった哲学者や科学者がこの時代に活躍している。

やや乱暴かもしれないが、経済的な豊かさと社会的な安定がベースとなり、人々は哲学や宗教に対してより多くの時間とリソースを割くことができた。結果、これらの分野が発展したのだ。豊かな心の形成は、基本的な生活の安定が必要で、その上で精神的な探求が行われることが多いのだ。

(思考と実践のギャップ)
一方で、豊かな心の状態では、思考は強化されるが、その結果を実践するかと言えば疑問が残る。例えば、将来の事業ポートフォリを安定させる目的で、多くの事業会社が新規事業の取り組みを促進している。今の状態が決して潤沢ではないが、従来からのビジネスモデルによって一定のキャシュが安定的に稼げている。このような状態では、一定の余裕があるので新規のアイデアは多数でるのだが机上で終わる組織が多い。一方で、後先が無いベンチャーなどは大したアイデアでも無くても実際に実践しながらその筋を研ぎ澄ませ、結果的にキャッシュがついてくる事業にまで発展させている。考えを実行に移して初めて価値がでるのだが、アイデアに重きを置く事業会社があまりにも多いと思う。思考と行動あるいは、実践は別なのだろうか。いくつかの視点に分けて考察してみよう。

私は、理論やアイデアを持つことは比較的難しく無いと考える。しかし実際に行動に移すことに対しては容易ではない。例えば、新たな取組は必ず一定のリスクが伴うと考えてしまう。特に既存の事業が安定していれば、新たにリスクを取りたいとも思わない。また、思考を実現するにはそれなりの資源が必要だ。事業会社に置き換えるとヒト、モノ、カネだ。カネが在っても、該当するヒトが不足しているし、また実現していない概念(アイデア)に対しても事業会社は投資を渋る傾向が強い。これが助長してヒト、つまり実行する人材が不足する。そして、上記が根底に組織の反対が起こるのだ。物事を俯瞰して考えることができる人材は一定数しかいない。皆眼の前にことに必死で、既存事業の組織関しては、新規事業が遊んでキャッシュを燃やしていると勘違いしている。しかし根底は変化への抵抗と利益保護がベースにあるのだ。

時間軸の視点も需要だ。短期的な取り組みと長期的な取り組み。いかに重要だと理解しても、短期的な取り組みを優先してしまう。考えたアイデアは実現するためには一定の労力と時間がかかるものだ。そしてその結果に対しての保証は何らない。すると既存事業や過去に発生した問題解決に資源を注いでしまうのだ。既存事業の取り組みで日々の運営や管理に追われた人材が、長期的な視点に基づいて、試行錯誤で行動すること事態が超難しいのだ。

(豊かさと行動のギャップ)
豊かさはアイデアや哲学や宗教など、多数の創造物を生む。その一方で、行動に結びつけるにはいくつかの要素が必要になる。

まずは、達成したいという意思と強烈な動機だ。思考が豊かで在ってもこれらが欠如したら行動しない。そして、アイデアの実行にはパトロンや役割の高いヒトからの手厚いサポートが必要になる。組織では適切な資源を配分してもらわないと動こうにも動けない。そして、失敗や時間に対する許容も大切だ。それがなければ誰も怖くて動けないのだ。

どれも聴いたことがあることだと思うのだ、真実は皆わかっているのだ。従い、事業会社で既存事業と新規事業をうまく成果を出せている組織は多くの場合、以下の打ち手を実現している。パイロットプロジェクト、外部資源の活用、一定のインセンティブだ。小さく初めて、小規模なテストを繰り返す中で試行錯誤を続ける。結果手にリスクを最低限に抑えながらも失敗から学び経験値をえていくのだ。当然、自社リソースだけでは時間がかかるので、ここはノウハウと時間を買う目的で一定の外部パートナーも有効に活用する。自社に専門部隊や知識がないのであればプロを活用して、そこに既存の人材をつけながら数年かけてノウハウを吸収するのだ。

失敗が多い組織は、とにかく自分たちで何でもかんでも行い、先に時間とお金という資源を消費する。時間をかけて学んだ人たちは一定の経験値がつくのだが、インセンティブが少ないのと、門のプレッシャーばかりが与えられ、やがて経験値がつく頃から外部から引き抜かれてノウハウが残らない状態が続く。結局、自分たちで内省化しようとするもコミットが少なくて、何も残らないで時間ばかりが浪費してしまうのだ。

既存の取り組みと異なり、時間軸も違う。成果も出にくい。むしろ失敗ばかりする環境にいる。明らかに事業の取り組みや性質が異なるのに、その組織に対しても既存の取り組みと同様の評価やインセンティブを当て得ては行動や意思を引き出せないのだ。相応のインセンティブを研究して動機レベルを高めることが必要だ。

やはり、思考と実践は別だ。組織で取り組む場合、ここのつなぎをトップやかなり役割の高い人間が3年、5年のスパンで伴走しなければいけない。思考を行動に結びつける意志、環境、サポート、具体的な計画。これを社員に丸投げしても何も生まれない。苦しい社員が増産され離職が増えるだけだ。経済的な豊かさや社会的な安定があれば思考は発展するが、行動に移すためにはさらに多くの関与が必要なのだ。新規は従い、トップの本気度で決まると思うのだ。

では、冒頭に事例にしめした思考、哲学、宗教をクリエイトするなかで、どのような実践があったのか議論してみよう。

(古代ギリシャからの学び)
古代ギリシャでは、特にアテナイにおいて、哲学が実践的な政治に大きな影響を与えているまずはソクラテスだ。ソクラテスは対話を通じ、人々に自己反省を促し、倫理的な生活を追求するよう説いた。しかし、彼の哲学的思考は当時の権力者にとって脅威だった。その結果、彼は死刑を宣告される。ソクラテスの例は、哲学の実践と既存権力者の抵抗を示す事例だ。

中世のヨーロッパでは、宗教的な哲学が社会全体に大きな影響を及ぼした。トマス・アクィナスは、キリスト教の教義とアリストテレスの哲学を統合した。信仰と理性の調和を目指したのだ。彼の思想はカトリック教会の教義として広く受け入れられ、社会全体の倫理観や法律にも影響を与えている。

マルティン・ルターの宗教改革は、カトリック教会の腐敗を批判し、個々人の信仰の自由を強調した。当初、信仰のバイブルは一部の権力者しか手に入れることができなかったが、印刷技術の発展が後押ししてバイブルを一般のヒトも広く読めるようになった背景がある。結果、彼の思想は広く支持を得て、プロテスタント運動が広がり、ヨーロッパ全体の宗教と政治に大きな変革をもたらした。

近代においても、哲学的な思想が社会変革に結びつく例が見られる。ジョン・ロックの思想は、個人の権利と政府の正当性についての基本的な考え方を提供した。彼の「市民政府二論」は、アメリカ独立革命やフランス革命の理論的基盤となり、具体的な政治体制の変革に結びついた。

カール・マルクスの共産主義思想は、資本主義社会の矛盾を批判し、労働者階級の解放を目指した。彼の思想は、後にソビエト連邦や中国などの社会主義国家の建設に直接影響を与えている。

このように哲学的な実践では、ソクラテスやルターのように、強い意志とリーダーシップを持つ個人が必要で、プラトンやロックの思想が広く受け入れられたように、広範な社会的支持も必要になる。更に、マルクスの思想が具体的な革命運動に結びついたように、思想を具体的な行動に移す計画も必要要素だ。そして、中世ヨーロッパのように、既存の制度や環境が変革を必要とする状況があれば、哲学的思考が実践されやすくなる。整理すると、以下の要素が抽出される。

– 意思とリーダーシップ
– 社会的な指示
– 具体的な計画
– 適切な環境

(古代インドからの学び)
インドにおける哲学や宗教の普及も見てみよう。やはり思考とその実践には結構なギャップがあったことがわかる。まずは大御所のブッタ(釈迦)だ。釈迦は王族として裕福な環境で育ったが、人生の苦しみについて深く考えるようになり、出家して瞑想と修行を重ねた。悟りを開いた後、彼の教えは多くの弟子を集め、仏教として広がった。しかし、彼の教えが広く受け入れられ、実践されるには結構な苦難が存在している。

それらは、釈迦自身が各地を巡り教えを説くことで、仏教の思想を広めることに加え、釈迦の弟子たちが彼の教えを記録し、体系化することで、後世に伝わる基盤が構築されたのだ。更に、アショーカ王のような権力者が仏教を支持し、国家規模での普及が進んだことも大きな要因と考えることができる。思考の結果を実践に移すには相応の努力と時間が必要なのだ。

次にヒンドゥ教の発展をみてみる。ヒンドゥー教の思想はヴェーダとウパニシャッドの哲学に根ざしている。ヴェーダの儀式中心の信仰から、ウパニシャッドの内省的な哲学的思索が発展した。ヴェーダの時代は主に儀式や祭祀に重点が置かれ、ウパニシャッドの時代に入り、内省的な哲学が発展した。もちろんこの移行にも、宗教的リーダーや哲学者が長い時間をかけて議論し、教えを広める努力が必要だった。そして中世にはバクティ(献身)運動が広がり、個人の神への献身を強調した。これもまた、思想の実践への転換で、聖者や詩人たちが教えを広める役割を果たしたのだ。

ジャイナ教についても見てみよう。ジャイナ教の創始者であるマハーヴィーラもまた、裕福な環境に生まれながらも苦行を通じて悟りを開いている。彼の教えは徹底した非暴力(アヒンサー)を重視し、厳しい倫理的実践を求めた。マハーヴィーラの教えを受け入れた信者たちが、厳格な生活規範を守り、教えを実践することで教えが広まっている。そして彼の教えが口伝で伝えられ、後に記録されることで、思想が体系化され、実践が維持されたのだ。

インドの宗教と哲学が発展する過程でも、思考から実践への移行には時間と努力が必要だったことがわかる。釈迦やマハーヴィーラのようなカリスマ的なリーダーが思想を広める役割を果たし、思想を受け入れ、広めるための弟子や支持者の存在が不可欠だった。そして、アショーカ王のような権力者の支援が、思想の普及を助けている。更に、思想が実際に広まり、実践されるには長い時間と継続的な努力を要しているのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。

リーダシップ
支持者と弟子
権力者の指示
時間と継続的な努力

(中国からの学び)
今度は、中国の思想、特に儒教や道教が秦の統一以降に普及する過程においてみてみよう。思考と実践の間にはやはりギャップが存在している。

孔子は春秋戦国時代に活躍した思想家だ。彼の教えは倫理と政治を中心としたものだ。しかし、彼の生涯中、実はその教えが広く受け入れられることは無かったのだ。孔子の思想は当初、諸侯に受け入れられない。そこで、彼自身も多くの国を巡り教えを広めたが、大きな成功は収められなかった。孔子の死後、弟子たちが彼の教えを記録し、『論語』としてまとめたことが、思想の継続と普及に大きな役割を果たしたのだ。

漢の武帝(紀元前141-87年)は、董仲舒の進言により儒教を国家のイデオロギーとして採用した。儒教が国家の公式イデオロギーとして採用されたことで、教育制度や官僚制度の基盤が確立した。また、科挙制度の導入で、儒教の経典の学習が官僚になるための必須条件となった。結果、儒教の普及が進んだのだ。

道教は老子と荘子の思想に基づいている。それでも初期には主に哲学的な思索にとどまっている。老子の『道徳経』や荘子の『荘子』は、自然と調和し無為自然の生活を説いたが、初期の段階では主に知識人や隠者の間でのみ受け入れられた。

道教も同じだ。道教が宗教として確立されるのは後漢時代以降で、はじめは民間信仰やシャーマニズム的な要素が取り入れた。張道陵が創始した五斗米道は、道教を組織化し、教団としての形を整えた。唐代に皇帝が道教を保護したのを皮切りに、自らを老子の後継者として、道教の権威が高まった。

儒教や道教が普及する過程におい、思考と実践の間にはやはりギャップがある。孔子の思想は当初受け入れられず、彼の教えが広く実践されるには弟子たちの努力と後世の支持が必要だった。道教も初期には哲学的な思想としてのみ留まり、宗教としての実践には時間を要している。後に、国家が儒教を公式に採用したことですることで、その普及と実践が進んだが、これは政治的な意図や制度的な支援があったからこそ実現したと考えることができる。道教もまた、国家の支持と結びつくことで広く受け入れられている。儒教も科挙制度の導入と関係が深い。道教は組織化されて、その教えが広まりやすくなった

やはり、中国の儒教や道教の普及も同じだ。思考と実践の間には多くのギャップがあり、いくつかの要素を絡めて克服している。孔子の弟子や道教の指導者たちの努力が思想の継続と普及に寄与しているし、儒教や道教が国家に支持されたことで、その思想が広く実践されるようになった。そして教育制度や試験制度を通じて、思想が広範に浸透し、実践される基盤が築かれている。ここにも時間と努力が必要だったのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。

リーダーシップと支持者
国家の支援
教育と制度

(イスラムからの学び)
最後に、イスラムでの歴史を通じて思考と実践のギャップをみてみよう。同じように時間と努力を要している。

イスラム教の黄金時代(8世紀から13世紀)は、科学、哲学、医学、文学の分野で多くの成果が生まれた。この時代にも、思考とその実践にはギャップがある。そして特定の要因によってそのギャップを埋めることができている。イスラム帝国は広大な領域を支配し、交易路を確立していた。これにより、経済的な繁栄がもたらされ、さまざまな文化や知識が交流した。商業と公益における経済的な繁栄は、学問や思想に対する投資を可能にした。ペルシア、ギリシャ、インドなどの知識がイスラム世界に取り入れられ、思想の実践を促進している。

アッバース朝のカリフたちは、学問を奨励し、バグダッドに知識の中心地である「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」を設立した。カリフたちが学者を支援し、学問研究のための資金を提供した。これがベースとなり、で多くの書物が翻訳され、学問が発展している。

アル・ハワリズミは数学者として著名だ。アルゴリズムの語源にもなった偉人だ。彼の著作『アル=ジャブル』は代数学の基礎を築いている。彼の理論は、計算や天文学などの実践的な分野で応用された。そして彼の著作が広く読まれ、教育機関で教えられることで、その思考が実践されるようになる。

イブン・シーナーは医学者として『医学典範』を著し、ヨーロッパでも長く教科書として使用された。始めは彼の医学理論は、実際の医療機関での治療に応用され、医学の教育機関で彼の理論が教えられ、そえrが広く実践に結びつくようになっている。

アル・ファラビは哲学者で、アリストテレスの著作を研究し、解説した。彼の思想はイスラム哲学の発展に大きく寄与した。彼の哲学的思想は、学問の場で討論され、後世の学者たちに影響を与え、彼の政治哲学は、理想的な国家についての議論に応用された。

イブン・ルシュドはアリストテレスの解釈を通じて哲学と宗教の調和を試みた。彼の思想は、イスラム法学と哲学の統合に寄与し、法学の実践に影響を与えた。著作はラテン語に翻訳され、ヨーロッパのスコラ哲学に大きな影響を与えたと言われる。

イスラム世界でも一部の宗教指導者や保守派からは、新しい思想や科学に対する抵抗があっている。保守的な圧力だ。新しい考え方や科学的発見は、伝統的な宗教観と対立することがあり。一部の学者は異端とされ、迫害を受けることが多かった。

そこに対して、知識や思想を広めるために、教育や翻訳活動が役立っている。概念は、ギリシャ語、ペルシア語、サンスクリット語の著作をアラビア語に翻訳する活動が盛んに行われ、マドラサ(イスラム教育機関)の設立により、知識が広範に普及している。

イスラム教の黄金時代においても、思考と実践の間にはギャップがあり、やはり時間と努力の結果、今を構築していた。振り返ると、広範な交易と文化の融合が、学問の実践を促進した。カリフや政府の支援が、学問の発展と普及を支えた。そして教育機関の設立と翻訳活動が、思想や知識の広範な普及に寄与した。更に、学者たちの努力と実践への応用が、思考を具体的な行動に結びつけたのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。

– 経済的繁栄と文化交流
– 政治的な支援
– 教育と翻訳(通訳)活動
– 者と実践者の努力

ギリシャ、インド、中国、イスラム。それぞれの国やエリアで発展した思考や哲学や宗教。それらの背景は豊かな要素があった一方、普及活動には相応の時間と努力があってようやく実践されはじめている。これらの学びから大企業や中堅企業が次の5年、10年を見据えた際の事業のポートフォリをを新たに作る際、新規事業を創造する際の学びと整理していきたい。

ポイントは、次の6つの項目だ。

– ビジョンとリーダシップ
– 社会的支持と組織的サポート
– 継続的な学習と適応
– 実践と試行錯誤
– 外部の知識と文化の取り入れ
– 長期的視野と短期的視野のバランス

まずは、ビジョンとリーダーシップの重要性だ。歴史的な事例では、孔子や釈迦、マハーヴィーラをあげた。これらの思想家は強いビジョンを持ち、そのビジョンを広めるためのリーダーシップを発揮している。新規事業を創造する際に、企業が明確なビジョンを持ち、それを全社的に共有することが重要だ。そして、そのビジョンを推進するリーダーが必要で、リーダーは変革を恐れず、困難な状況でもビジョンを追求する姿勢を持つべきなのだ。

次に社会的な支持と組織的なサポートだ。アショーカ王の仏教支援やアッバース朝の知恵の館は、思想や宗教が広がるための、社会的支持や組織的なサポートが重要だった。新規事業の成功には、組織全体の支持が必要だ。経営陣だけでなく、従業員全体が新しいビジョンに共感し、支援する体制を築くことが重要なのだ。一部の新規事業のメンバばかりが頑張っても行動が理解されないし、そもそも厄介者扱いされるのが関の山だからだ。そして、必要な資源(カネ、ヒト、ジカン)を適切に配分し、組織的に新規事業をサポートする体制こそが必要なのだ。

3つ目は継続的な学習と適応だ。イスラム黄金時代における翻訳活動や、儒教の普及における科挙制度など、継続的な学習と教育の重要性を確認した。事業では、市場や技術の変化に対応するために継続的な学習とトレーニングを文化として構築することが重要だ。そして、維持適用するためにも環境や市場の変化に柔軟に対応し、適応する能力を継続トレーニングしていくのだ。

4つ目は実験と試行錯誤だ。これまで列挙した多くの思想家たちは、理論と実践を繰り返しながら、思想を発展させている。一瞬の思いつきではない。時間と動力を積み重ねている。新規事業においては、小規模な実験を繰り返し、失敗から学びつつ改善を重ねるアプローチといえる。仮説検証を繰り返し、柔軟に戦略を修正する姿勢が大切だ。

そして、5つ目は外部の知識と文化の取り入れだ。イスラム黄金時代で見たとおり、ギリシャやインドの知識が取り入れられ、学問の発展に大きく寄与した。外部の知識や技術を積極的に取り入れることは、オープンイノベーションとして知られている。積極的に取り入れ、異なる文化や背景を持つ人材を採用し、多様な視点を取り入れることで、新しいアイデアや視点が生まれやすくなるのだ。

最後に、長期的視野と短期的成果のバランスだ。歴史からも学びは時間だ。多くの思想が広がるために、長い時間が必要だった。従い、短期的な成果に加えて同時に、長期的なビジョンを持つことが重要なのだ。新規事業の成功にもあてはまる。長期的なビジョンを持ち、それに向けた計画を立てることが本来の道筋だ。しかし、そればかりでは商売にならないので、一定の短期的な成果も欲しい。それにより組織内外の支持を得やすくなるのだ。

歴史的な哲学や思想や宗教の普及と実践のプロセスから得られる共通点を新規事業の創造に適用すると、以下のような戦略が有効だとわかる。

– 明確なビジョンと強力なリーダーシップ
– 組織全体の支持と十分なリソースの確保
– 継続的な学習と適応力を持つ文化育成
– 実験と試行錯誤を重ねた、柔軟な戦略修正
– 外部の知識や多様な視点の導入と活用
– 長期的ビジョンと短期的成果のバランス

これらの実践こそ、新規事業の成功確率を高めることにつながるのだ。



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