早嶋です。
年末に海老を焼いて食べました。「そういえば、兄貴はこの殻を使ってスープを作っていたっけ」という会話を妻と。急に作ってみようということになりグーグルでレシピ検索。私はほとんど料理をしないので、選んだレシピはシンプルで簡単なものでした。
しかし、実際に作っているとなんか違う。そこにいつもの通り妻のヘルプが。そして一言。「手間暇をかけないと美味しくならない」と、そこに人参、セロリと他の野菜をいれながら何か違う一手間をかけている。仕事も料理も掃除も基本は同じ。全ての基本があり、そこには手間や暇がかかっておりその部分は普段は見えない。
今年の夏にしこんでいた漆の金継ぎも下地の作業から半年くらい時間をあけて、ようやく仕上げの作業に取り掛かる。なんだかんだいって時間が熟成するという考えは嘘ではない。確実に、その手間や暇は完成度に違いを出すのだ。
デジタル時代に入って、いきなり答えをググり表面的に乗り切る活動を散見できる。悪くはないが
そこで留めると自分のものにならないような気がする。Youtubeで検索すると本の要約サイトがウジャウジャでてきて、結論の部分をおもしろおかしく載せてある。それはそれで楽しく製作側のクリエイティブに敬服するが、それで本を読んだ気になっていたら大変だ。
そもそも読書においては、ドイツのショーペンハウエルの言葉が響く。読書とは他人にものを考えてもらうことであり、多読をすることは思考力を奪う行為だと言っています。だからこそ、本を読みながら自分と対話して、その時時に感じることをメモしたり、他人と会話する中で、自分としての思考を身につけることが読書の本質だと思うのです。
そのためには、時短とか効率とかは一見お手頃なものに見えるかも知れないが、所詮は上っ面。やはり最後は自分で時間と労力と苦労とお金をかけて取り組んだものが自分の中に残るのです。海老の殻をグツグツ煮るだけでは味は出るまい。そこに雑味を消す野菜と数種類の酒やみりん、そしてその絶妙な分量が最終的なスープの味を決めるのです。そしてその手法は決してデジタルではなく、これまで鍛錬した人しか出来ない技なのです。
今年もさぼること無く正面から頑張ろう。