マツヤ万年筆病院

2007年9月9日 日曜日

早嶋です。

本日のビズ・ナビ&カンパニーは休日、前回に引き続き海へ船遊び。さすがに台風の影響でうねりが高く、海水もにごっていましたが、すっかりリフレッシュ。

さて、先程、退院のお知らせが病院からありました。といっても万年筆の話。この話は、お盆までさかのぼります。

久々に帰省し実家の納戸を整理していたら、昔の万年筆が数本出てきました、両親に尋ねたところ、1本は父親が若い頃に使っていた万年筆(プラチナ社※)で、残りは祖母のもの(モンブラン、プラチナ社、他)であることが分かりました。ただし、どれも修理が必要な状態です。

そこで、修理に出そうと、何処に持っていけばよいのやら、父に尋ねたところ、「マツヤ万年筆病院」が良いよと。こうして、数本の万年筆を病院に運び、入院させていたのでした。

マツヤ万年筆病院は、その世界では随分と有名なお店でした。創業は昭和20年、初代は明治時代の国産万年筆メーカーの工場長で、以来、万年筆一筋でお店を続け、現在は3代目が経営しています。

同店の商品は全て永久保障で、店頭に並ぶ数々の万年筆は全て3代目の厳しいチェックが入り、1本1本の万年筆の繊細な構造を確認しているそうです。三代目曰く、「お客様にお試ししていただくだけになるペンであろうと、納得のいかないものは店頭には並べたくない」と。

また売り方もユニークです。その人の筆圧や用途、手の形状によって一番良い万年筆を判断し、その人に合ったものしか売ってくれないのです。

そんな頑なに職人を感じさせる雰囲気のお店と三代目でしたが、物腰が低く、素晴らしく丁寧に対応していただきました。長年続いている理由は、技術以外にも三代目の人格もあるのでしょう。

是非、長崎に行く機会があればお立ち寄りを。

※プラチナ社:プラチナ萬年筆株式会社
1919年、岡山で輸入万年筆店を経営していた田中俊一氏が、プラチナ萬年筆の前身である中屋製作所を創業。24年の東京進出では、現在のDMの先駆けとなる、カタログ輸入による通信販売を行い評判となる。42年に社名変更を行い、プラチナ萬年筆に。それ以降、高級品から日常品までの万年筆やボールペンやシャープペンなどを販売している(ペンハウス参照)。

最近話題になった映画、DEATH NOTE(デスノート)の主人公が使用していたボールペンはプラチナ萬年筆の製品です。



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