楽天家と厭世家

2016年8月30日 火曜日

早嶋です。

世の中には楽天家もいれば厭世家もいる。おそらく現在の状態で世の中が均衡しているとすると、凡そ同数の楽天家と厭世家が存在しているのではないかと思う。世の中がどちらかに偏らないとするならば、どちらの存在が重要かの議論は凡そ正しく無く、互いが補完しているからこそ互いが存在していると考えたほうが無難だ。

世の中に対立する項目は沢山ある。創造と破壊もしかり。プラスとマイナスもしかり。男と女も、月と太陽も。きっと同じ性質を持つ集まりでいたほうが気が楽なのだと思うが、もしその集団で生活をすると何か人生に張り合いみたいなものが無くなってしまうのかも知れない。だからこそ互いにひかれあう存在になるのかも知れない。

一方で、対立する2者が同じ空間に存在すると、きっと互いの反する部分が触れ合い互いに嫌な気分になる場合だってあると思う。そして気が合う集団と属することを欲するかも知れない。互いにあるものが無くなった時にその存在の貴重さを感じ、その存在が身近になった瞬間から嫌悪感が増してくる。

3歳の息子陸が聞いている動揺には上記のような状況を髣髴とさせる歌詞が実に多いと思う。何故、そのような歌を子どもが好きな調べに乗せたのか。ここにも相反する状況を敢えて楽しんでいる昔の有識者がいたのかもしれない。



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